社会そのほか速
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白鵬が寄り切りで琴奨菊を下す(19日、ボディメーカーコロシアム)=共同
大相撲春場所12日目(19日・大阪市ボディメーカーコロシアム)横綱白鵬は大関琴奨菊を寄り切り、ただ一人全勝を守った。新関脇照ノ富士は豊ノ島をきめ出して2敗をキープ。13日目に白鵬が照ノ富士との直接対決に勝てば、6場所連続34度目の優勝が決まる。
横綱日馬富士は大関豪栄道を下手投げで下して9勝目を挙げた。豪栄道は6敗となった。大関稀勢の里は4敗目で、琴奨菊は5敗目。新小結玉鷲は負け越し、西前頭筆頭の逸ノ城が勝ち越した。
十両は富士東が2敗で単独トップに立った。〔共同〕

米大使館(東京都港区)やケネディ駐日大使への脅迫事件で、警視庁捜査1課に威力業務妨害容疑で逮捕された神谷三義容疑者(52)=那覇市古波蔵=が「米軍基地の移設問題について不満があった」などと動機を話していることが20日、同課への取材で分かった。
同課によると、米大使館には2月中旬〜3月中旬、片言の英語で「米軍キャンプ・シュワブや大使館を爆破する」などと脅す電話が約30回あり、同課は同容疑者が関与したとみて調べている。

国際オリンピック委員会(IOC)の視察団は19日、平昌冬季五輪の準備状況について、「問題ない」との見解を示し、競技会場が変更される可能性も否定した。19日付で新華社が伝えた。
IOCのリンドバーグ調整委員長は19日、「競技会場の建設は素晴らしい進展を遂げている。来年からテスト大会を行っていく」と述べた。その一方で、組織委員会による執行計画の推進状況と予算面の補強については、「緊迫感がある」との考えを示した。韓国の冬季五輪開催の経験不足を補うため、海外の専門家が今後数カ月間、平昌に滞在し、テスト大会の準備を手伝うなどのサポートを行うことも明らかにした。
平昌現地からは、経済的負担を軽減するため、競技会場の変更を求める声も上がっているが、リンドバーグ氏は「競技会場は確定した。変更することはない」と断言した。同氏率いるIOC視察団は、アイスホッケーやフィギュアスケートなどの会場となる韓国江陵を3日間視察した。
(編集翻訳 小豆沢紀子)
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2015年3月17日、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で、日本の地方CMが話題になっている。
【その他の写真】
話題になっているのは、岩手県盛岡市の音楽教室「東山堂」のCM。娘の結婚披露宴に出席した父が娘へのメッセージとして、他界した母がよく弾き、娘にも教えた「カノン」を密かに練習して、ピアノで演奏する。演奏が始まると、娘は心の中で「やめてよ。その曲。なんで」「へたくそ」とつぶやくが、次第に涙が止まらなくなる。父と娘は母の他界を機に関係がぎくしゃくし、娘は家を出ていた。そうした中で迎えた娘の結婚。母の写真を側に置いて慣れない手つきで演奏していた父だが、途中で演奏が途切れてしまう。すると、娘は「がんばってよ。がんばれ、がんばれ。お父さん」と心の中でつぶやく。そして最後に、「音楽は、言葉を超える」という文字と、母が生きていたころの親子3人の様子が映し出されるというものだ。
このCMに、中国のネットユーザーたちも心を打たれたようで、多数のコメントが寄せられている。
「感動した!」
「始めから泣いちゃった」
「泣いちゃったよ。なんで泣いたのかわからないけど」
「山のように大きな父の愛」
「お父さんがピアノの前に座ったときにもう泣けてきた」
「感動した。『音楽は、言葉を超える』という言葉はその通り。日中両国もそうなりますように」
「とっても感動的なプレゼントだ。『カノン』は大好き」
「涙腺ゆるゆる。愛は最も人を感動させる。国境は関係ない」
「日本人だけど感動した!」
「中国人には、こういった細やかな映像は作り出せないだろう」
「もし娘ができたら、おれもこんな父親になりたい」(翻訳・編集/北田)

新入社員が初めて手にするものの一つに「名刺」がある。社名と自分の名前が入った「名刺」を支給され、社会人になったことを改めて実感した、なんて方も多いだろう。そんな「名刺」だが、名前が書かれている紙なのだから、「名紙」でもいいはずなのに、なぜ「刺す」なんて物騒な字が使われているのだろうか。
その理由は「名刺」の起源とされている、古代中国(25~220年、後漢の頃)にある。当時の位の高い者(科挙官僚、地主、文人)たちは、誰かの家を尋ねるとき、名前と用件を記入した竹片や木片を持参し、相手が不在の場合、門前の箱に刺していたという。これが「刺(さし)」と呼ばれ、のちに「名刺」と変わって日本に伝わったそうだ。
現存する最古の「刺」は、1984年に発掘された、三国時代の呉(222~280年)の武将・朱然の墓で発見された本人の「刺」で、その内容は「朱然です。お元気でしょうか? また来ます」という、簡単なメッセージだったらしい。
西洋の「名刺」の起源とされているのは、16世紀初めに登場した「visiting card」で、やはり不在の訪問先に置いてくるものだった。また、17世紀初めにはイギリスでは、仕事で顧客に渡すために「business card」が使われていて、こちらはショップカードのように店に置かれていたそうだ。
日本の「名刺」の始まりは、平安時代の「名符(みょうぶ)」とされていて、貴族なのに仕える者たちが、自らの姓名や官職名などを記入して提出する札のことだ。江戸時代になると、懐紙に名前などを記入して、中国や西洋と同じように、不在の訪問先に置いてくる習慣が一般化した。明治時代には西洋風のカードタイプの「名刺」が作られるようになり、現在のような形になっていく。なお、日本で初めてカードタイプの「名刺」を作ったのは、幕末の遣欧使節の団長だった池田長発(ながおき)で、フランスで作っている。
ちなみに日本では出会ってからすぐに交換するが、西洋では別れ際に氏名、住所、連絡先などの確認のために交換することが多いとか。国によってビジネスマナーも様々なようだ。