社会そのほか速
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3月25日(水)にニューアルバム『Candy Lips』をリリースする春奈るなが、アルバム発売に先駆けて3月11日(水)より新曲『みんな絶対キミが好き』を先行配信する。
この曲のミュージックビデオではいろんなキャラクターに扮した春奈るながプリクラ機の中で歌ったり写真を撮ったりという超キュートな内容に仕上がっているそう。最後にプリクラ機から出てくる写真は『Candy Lips』アルバム予約会と連動したあのキスマーク入り写真・・・? なんとも気になる内容となっている!
そして3月12日(木)には、春奈るなのニューアルバム『Candy Lips』発売を記念して、公式ニコ生番組「春奈るなニューアルバム『Candy Lips』発売記念公式ニコ生特番~みんな絶対“Candy Lips”が好き~」の放送が決定。この番組では3月11日(水)から先行配信される新曲『みんな絶対キミが好き』のミュージックビデオを初のフル視聴解禁。
さらには、『Candy Lips』の初回映像特典として収録される渋谷公会堂でのワンマンライブダイジェスト映像や豪華フォトブックの中身なども発売前に見ることができるとか。
“豪華アーティストからのコメント映像”、春奈るな“スペシャルライブ”・・・などなど盛りだくさんな内容ということなので、みんな絶対お見逃しのないよう。

女性用下着を盗もうとしたとして、京都府警山科署は10日、窃盗未遂の疑いで、プロ野球日本ハムファイターズの元選手で自称会社員の中西有希人容疑者(37)=京都市山科区音羽沢町=を逮捕した。
逮捕容疑は1月29日午前8時10分ごろ、隣家の女性会社員(56)宅の2階ベランダに干してあった女性用下着を、自宅2階から釣りざおを使って盗もうとした疑い。「たまたま修理でさおを出しただけ」と容疑を否認している。
中西容疑者は京都市左京区の東山高出身。1996年に投手として当時の日本ハムにドラフト7位で入団。1軍での出場の機会はなく、2000年に戦力外通告を受けていた。

歌って踊るアイドルまなみのりさが、2015年4月4日(土)に赤坂グラフィティにおいて、アコースティックワンマンライブを開催する。
現在、テレビ朝日で深夜に放送中のアイドル同士が戦い、ファンの投票によって次回の出場権を勝ち取るアイドル対決番組「アイドルお宝くじ」に出場中の彼女たち。
通常のアイドルライブでは、アクティブに踊り『ポラリス』という曲では、ファンが会場を回ることから、“回すアイドル”とも呼ばれている。実際、ポラリスサークルと呼ばれるスタイルは、彼女たちの楽曲から名づけられたものだ。
そんな彼女たちは2014年9月に初めてアコースティックスタイルで歌を披露。「歌だけでステージに立てるとは思っていなかった」とメンバーは語ったが、3人の声によるハーモニーは、通常のアイドルライブとは同じ曲とは思えないほどの言葉の力で胸に迫ってくる。
ダンスを封印して臨むアコースティックライブ。今回は、春という季節から~旅立ち1.2.3.4.5.6.7.8~と~出会い1.2.3.4.5.6.7Days~と名付け、別のセットリストで同日に2公演を行う。踊らないアイドルの力をぜひ、見ていただきたい。

10日午後、横浜市にあるドラッグストアにいきなり乗用車が突っ込みました。ドラッグストアは営業中でしたが、客などにけがはありませんでした。
10日午後3時ごろ、横浜市瀬谷区にあるドラッグストア「フィット・ケア・デポ阿久和南店」で、「車が店内に突っ込んだ」と男性従業員から通報がありました。
乗用車はバックで駐車場に停車しようとしたところ、勢い余って店内に突っ込んだとみられるということです。店内は営業中で客4人と従業員3人がいましたが、けが人はいませんでした。
警察の調べに対して、乗用車を運転していた72歳の男性は「アクセルとブレーキを踏み間違えた」と話しているということで、警察が詳しい事故原因を調べています。(10日18:18)

2万1000人を超す犠牲者を出した東日本大震災は11日、発生から4年を迎えた。今も約23万人が、仮設住宅などで避難生活を送る。鉄道など一定の復旧の動きはみられるものの、住宅再建の遅れに伴う人口流出、産業復興の遅れ、滞る学校再建など、被災地はなお多くの課題に直面している。東京電力福島第1原発事故の収束も見通せない。日常を奪われた人々は、どのような生活を描けばいいのか。大きな岐路に立っている。
◇宮城・名取の内山さん 責任ある医療「将来一緒に」の言葉
「将来、一緒に働けたらうれしいな」。東日本大震災から1年後、過労のため45歳で亡くなり、震災関連死と認定された外科医の父(内山哲之さん)が私に残してくれた言葉です。父は津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市に単身でとどまり、患者さんの治療に力を注ぎました。医療ソーシャルワーカーになって、患者さんやお医者さんの支えになりたい。一緒に働くのは無理だけど、父の遺志は今、私の夢になりました。
2011年3月11日、激しい揺れで宮城県名取市にあった自宅は一部損壊の被害を受けました。けがはなく、隣の祖父母の家に母、弟、妹の4人で身を寄せました。でも、石巻市立病院の外科部長だった父とは連絡が取れませんでした。
父は病院の2階手術室でがん患者の胃の切除手術中でした。そこに津波が襲ったのです。病院の1階部分が水没し、停電する中、懐中電灯の明かりを頼りに手術を続けたと聞きました。
病院には患者さんや職員が取り残され、13日に父たちが約2キロ先の市役所まで、胸まで海水につかりながら歩いて助けを求めました。約150人の患者さんは14日までに全員救出されたそうです。
父と再会できたのは震災の約1カ月後でした。身長187センチ、体重約100キロの大柄だった父が、まるで別人のようになっていました。ひげは伸び放題で、体重は13キロ近くも落ちていました。それでも父は石巻にとどまり、避難所や仮診療所などで仕事を続けました。家族の元に戻るのは数週間に1回程度。一緒に映画を見たり、お茶をしたり、もっと甘えたかった。でも、今やるべきことに真っ正面から向かっていた父は、私から見ても格好よかったです。
父が亡くなったのは石巻市立病院から石巻赤十字病院に移ってほどない12年3月22日でした。単身赴任先のマンションで倒れたと、授業中に連絡を受け、搬送先の赤十字病院に向かいました。…