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まずは写真をご覧頂こう。日本でナンバーワンの心霊スポットと言われる「将門の首塚」で撮影されたものだ。
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「将門の首塚」とは、言うまでもなく平将門の首を祀る場所のことだが、写真の右上部分に注目してほしい。白い首が、まるでモーションブラーが生じるほどのハイスピードで飛んで来たように見えないだろうか? 一説によると、平将門は京都で処刑されたが、その首は空高く舞い上がり、遠く離れた武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町)まで飛来し、そこで力尽きるように落下したのだとか――。それにしてもこの写真は、まるで首が飛来した瞬間そのものではないか!
■将門の首(!?)撮影の経緯
撮影者は、心霊能力者でありインターネットTV「しながわてれび放送」の代表・プロデューサーも務める、すずきじゅん氏である。筆者の知人でもあるすずき氏が、偶然にもこの光景を写真に収めてしまったのは、今から十数年前、取材で「将門の首塚」に足を運んだ時だった。その日のことをすずき氏はこう振り返る。
すずき氏「現場で心霊取材を始める前、私たちはいつものように両手で正三角形を作り、『勉強』と3回唱えて、お願いをしてから足を踏み入れました」
当時のすずきじゅん氏は「怖い話」で有名な某タレントと一緒に仕事をしており、次第に霊感が宿りはじめていたという。そんな彼によると、これは霊に対する礼儀であり、こうすることで霊が取材に協力してくれる可能性が高くなるそうだ。
すずき氏「いざ、中に入ると何か温かいものを感じました。祟りで有名な場所ですが、恐怖とは違う感覚がこみ上げてきて、それが何かは分かりませんでした。取材も終わりに近づき、みんなでお礼をしてから路上に出て、『オーブでも写らないかな?』とシャッターを切った時の写真がこちらです!」
すずき氏の一行が霊に対する礼儀をしっかりわきまえていたため、平将門が心霊取材に協力してくれたということなのだろうか。事実、その後もすずき氏たちに祟りが起きることはなかった。さらに彼はこう続けた。
「将門様のことを『祟り神』だと誤解している人たちに、真実を伝えようといらっしゃったのではないかと思うんです! あの時、悔しさの念以外に邪念などは感じ取ることができませんでしたからね」
■「将門の首塚」は聖地であり、結界である
そう、都市伝説でしばしば「祟り神」として恐れられる平将門は、実は関東の守護神であるとも伝えられる。大変徳の高い人間であった平将門の死後、彼を慕う人々は、首が飛来した場所に念仏道場を建て、産土神(うぶすながみ)として将門を祀った。その首塚を護持する神田明神は、江戸における平将門信仰を支えてきた存在である。江戸の町を守るため、神田明神を江戸城の鬼門の方角に据えたのは徳川家康だが、将門の守護のお陰か、江戸幕府は260年も続いた。
さて、魔女である筆者は霊とチャネリングし、彼らのオーラを視ることができる。そこで今回、将門のオーラも視てみた。すると、すずき氏のいうように邪念は一切感じられず、徳の高い黄金のオーラを放っていた。「将門の首塚」は「祟りが起きる心霊スポット」などではなく、聖地であり、また結界であるからこそ、敬意を表さねばならないのだ。
(深月ユリア)
※画像は「将門の首塚」