社会そのほか速
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「透明な女の子」に撃たれ、箱仲ユリーカは椿輝紅羽の腕の中で息を引き取った。嵐が丘学園の生徒たちはクマ殲滅に燃え上がる。百合城銀子は姿を消し、残された百合ヶ咲るるは落ちたペンダントを探していた。
「わかりませんね。なぜ百合ヶ咲るるは百合城銀子を裏切るようなマネをしたのでしょうか。百合ヶ咲るるは百合城銀子の『スキ』が叶うのを願っていたはずです。行動が矛盾していますよ」
「わかってないなあ。それは百合ヶ咲るるが百合城銀子を『スキ』だからさ。キラキラァ」
「『スキ』には様々な形がある。だからこそ、クマリア様は断絶を越えようとするすべてのものにお尋ねになるのかもしれない。──あなたの『スキ』は、本物?」
9話で黒幕と目されていたユリーカが退場し、どうなっていくのかいよいよ読めなくなった「ユリ熊嵐」。10話「ともだちの扉」では、これまではっきりと明かされていなかったことがほどかれていった。過去、心情、ユリ承認。
(1話/2話/3話/4話/5話/6話/7話/8話/9話)
紅羽は、母・澪愛の遺した絵本『月の娘と森の娘』の結末を知る。月の娘と森の娘は、お互いの前に立ちふさがった鏡を壊し、「約束のキス」を交わすのだ。
「ヒトとクマが……? そんな未来、あるわけないわ!」
叫んだちょうどそのとき、るるが紅羽の家に訪れた。ペンダントを渡し、すぐに帰ろうとする彼女を、紅羽は引き止める。
「お風呂、入っていかない?」
お風呂でるるの髪を洗う紅羽(この光景は7話から9話までのEDイラストに近いが、立場が少しずつズレている)。るるは心中を語る。
「銀子は純花ちゃんに嫉妬したんだよ。けど、それは私も同じ。私はくれちんに嫉妬したの。だから、あのとき、あんなこと……」
頑なすぎる紅羽、「スキ」ゆえに矛盾した行動をとってしまう銀子、そしてるる。
「ユリ熊嵐」の登場人物は、みな愚かだ。『アニメージュ』4月号のインタビューで、幾原邦彦監督はこう語っている(聞き手は藤津亮太)。
〈キャラクターを深めていく時にポイントになるのは、それぞれがどのように愚かしいということかなと。キャラクターってやっぱり愚かなほうが面白いし、愛しいですし。だからある種の承認欲求みたいなものがそれぞれにあって、それを得ようと行きすぎてしまって、そこがかわいいところになっている気がします〉
るるの魅力についても、こう触れている。
〈他者に優しくできる者は、「喪失したという痛みを知っている者」だけだと思います。るるが愛しいキャラクターに見えるとしたら、彼女が「別れ」を知っているからじゃないかな〉
ユリーカは「痛みを認めようとしなかった」から、優しくはなれなかった。銀子は「まだ完全に喪ってはいなかった」から、優しくなれない。どこかトゲトゲした登場人物たちの中でるるが可愛く見えるのは、優しいからだ。そして、自分以外の相手のことをわかろうとしているからだ。
ただ恐ろしいのは、「ユリ熊嵐」の作中、「優しかった」キャラクターは早々に退場していることだ。純花は相手を思う気持ちを利用されて蜜子に食べられたし、澪愛はその優しさゆえに(求めているものが違ったために)ユリーカに殺された。
透明な女の子たちは「わからないもの」「浮いているもの」「自分たちと違うもの」を「排除」する。クマの側だって同じだ。そんな世界で、自分とは違うものを受け入れたり、スキになることは、ものすごく危険なことなのかもしれない。るるーっ! 頼むから死なないでくれーっ!!
幾原監督はインタビューでこうも語っている。
〈僕は「分かり合えないから拒絶」じゃなくて、「分かり合えないけど好き」っていうのもあると思うんです。でも最近は、「分からない=拒否」とか「分からない=否定」とか「分からない=怖い」となっているように感じるんです。僕らが暮らしている現実世界のいろんな現象が「分からないもの=怖いもの=敵」となっている〉
10話で紅羽が見せた行動は、「ヒトとクマは分かり合える」ではなく、「ヒトとクマは分かり合えないが、スキになれる」の道を微かに示した。「分かり合えないからこそ好き」という道も、もしかしたら描かれるのかもしれない。
それにしても、「わからない」をテーマにしたこの作品が、「わからない」「難解アニメ」と称されたのは皮肉だ。幾原監督、めちゃくちゃ渋い顔をしているんじゃないだろうか。
(青柳美帆子)