社会そのほか速
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歌手の吉川晃司(49)が左足関節外果骨折で全治2ヵ月の重症を負っていたことが3月6日わかった。
3月3日、都内で中型オートバイの練習中に転倒し、5日夕に都内の病院で手術を受け、なんとその24時間後である6日夕には都内でライブを予定通り敢行。
痛み止めの薬を飲み、左足をイスに膝立ちするような状態で、最後の曲ではマイクスタンドを杖代わりにしてよろけながら右足一本立ちになって、全21曲を熱唱してみせたらしい。
さて。皆さんは、この一連の騒動を読み振り返ってみて、どうお感じになっただろう? 私は「とてもロックだ!」と感じた。では、「ロックである」ということは果たしてどういうことなのか?
私はずっとジャズ畑でドラマーとして音楽に携わってきたからか、「ロック」に対する思い入れは正直な話ほぼ皆無で、これが正しいのかどうかはよくわからないが「8ビートでボーカルがいてベースはピック弾きが多い」程度の認識しかない、いわゆる「ロック愛」とはほど遠い地点にいる人間だ。
一方で、8ビートでもアドリブがメインとなる演奏で「ジャズ」とするケースもあれば、16ビートや4ビートをリズムの基調としながら「ロック」と言い張るケースもある昨今、単純に譜面や技術上の理論で音楽をジャンル分けするのは、もはや合コンで初対面の女子を「ドSとドM」分類するのと同程度にナンセンスなことくらいも理解はしている。
とは言え、そんななか、どうしても「ロックだ!」とカテゴライス、断言してしまいたくなる瞬間は確実にある。なにがロック? どこがロック? いつロック?
つき並みだが、やはり私は「ロック=生き様」だと考える。とりあえず、今回の“骨折ライブ”で全開だったという“吉川節”を紹介してみたい。
「6日のライブには地方から来る人もいる。ドタキャンはしたくない」
「人生ギリギリで攻めているから、骨一本くらい折れる。一度折れた場所は強くなる。次へのステップだ」
「大人げないと言われるかもしれない。普通でいたら吉川晃司でない。いろいろ批判が出るでしょう。でも『うるせえ! この野郎』と言う生き物でいたい。最後までわがままをやり続ける」
「命の次に大切なシンバルキックが蹴られない(と最後まで痛みを笑いに変えていた)」
大多数的なモノの見方をすれば、たとえば「人生ギリギリの攻めが中型オートバイの練習かよ」という箇所は、けっこうな“(笑)ポイント”である。「無茶もほどほどに……」「地方から来る人もいるからこそ、あえてこのライブは中止にし、あらためて“万全の吉川”を披露すべきでは?」といった真っ当な意見もあるだろう。
だが、ここで見逃してはならない一言が
「うるせえ! この野郎」
だ。いくら俯瞰から第三者として冷静に見つめ直してみれば“滑稽”としか映らなくても、「知るか!」の精神で自分の「かっこいい」を貫く盲目的なナルシズムだけが「ロック」と呼ぶに値する。テレ・迷惑・マンネリ・年相応……そういった“大人げにまみれた”しがらみを「関係ねえ!」と跳ね除けてしまう突破力、人間力こそが「ロック」なのだ。
最後に、私が最近愛読しているロックコメディ漫画『エバタのロック』(全4巻・作画:室井大資/小学館)から、主人公エバタが語った素晴らしくロックなセリフを引用してみる。
ロックスターは
龍にもなれるし
レゴブロックだって
バリバリ食える。
月にだってさわれる
その気になりゃあな。
これぞロック! ロック以外の何物でもない。そして、まぎれもなくかっこいい。
(山田ゴメス)
文・All About News Dig編集部(All About )