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1990年後期にお団子ヘアで、奇抜なファッションをした女の子が現れた。シノラーこと、篠原ともえだ。“シノラーブーム”を巻き起こした彼女もいまや35歳となり、この春でデビュー20周年を迎える。“シノラー”は「ありのままの姿だった」と語る篠原に、これまでの芸能生活と今後の展望を聞いた。
【動画】篠原ともえ 、芸能人生の転機を語る
■シノラーは「喜びを抑えられなかった、ありのままの姿」
もともと芸能界に憧れを抱いており「一瞬一瞬が、夢がかなっている瞬間でしたね」とブームを振り返る。個性的な衣装も「『篠原のことを注目!』と思って、腕輪をたくさんつけたり、顔にシール貼ったりカラフルにした」と確かな戦略があった。「当時はシノラーファッション以外のファッションはしたくはなかったんです。ハーフパンツで、お団子で、いつも元気な篠原だけを見てもらいたかったから」。
確かに画面からのぞく彼女はいつもハイテンション。元気いっぱい。キャラクターも弁も立つため、メディアでは引っ張りだこ。瞬く間に売れっ子となった。しかし、光は強いほど影もできるもの。シノラーとして無理して明るく振る舞っていたのでは? ちょっといじわるな質問をぶつけてみた。
「明るいキャラクターは、テレビに出演できて『うれしい!』という喜びを抑えられなかったからなんですよ。それは、ありのままのシノラーの姿。“みんなに元気を手渡ししたい!”って命がけで思っていたし、そのためにだったら、なんでも頑張れた」。その真剣に語る表情はすっかり大人びていた。
■今の自分は想像できていた
約20年の芸能生活。辞めたいと思ったことは「ない」が、それなりに進路に悩んだ。「歌もやりたいし、女優さんもやりたい、でもタレントもやりたい、デザインもやりたい、いろんなことをやりたい」。世間が求めるのは“シノラー”としての自分。「20代の頃に、大好きなお洋服を着て皆さんの前に出る。だけどキャラクターが注目されてしまう。女優としてのオファーももらえるようになりましたが、そんな篠原を誰も見てくれないかなと思った」。
あれもしたい、これもしたい。いつの間にか“ありのまま”の自分に縛られていた。「でも女優さんのお仕事とか、いままでと違う篠原を見せる仕事をいただいたときに、演じることで変身できる自分がいることに気づいたんです。それがすごく面白いなって思えた。それでスカートを履いて、髪を下ろして、いろんな篠原を届けてみたいと思った。ファンの方も『穏やかなともえちゃんも好きだよ』と手紙をくださって、すごく励みになった。いろんな篠原を出せたのはファンの方のお陰かな」と笑う。
■星に願いを
映画『海月姫』、フジテレビ系ドラマ『ファーストクラス』で女優としての存在感を放ち、松任谷由実のコンサートツアーでは衣装デザイナーを務めた。次々と夢をかなえる篠原。実は“星好き”の一面もあった。昨年末、小学校の頃に目覚めたという星や宇宙に関する書籍『宙(そら)ガール★篠原ともえの星の教科書』(講談社)も上梓した。気づいたら多趣味を生かしに生かしまくっている。
「シノラーには、感謝しているんです。シノラーがお洋服を好きでいたりとか、忙しい中で、自分がデザインしたファッションを身にまとったりくれたりとか、いろんな趣味を持ってくれたことが今の仕事につながっている。自分を表現する場所があって、そして誰かに力を与えられる、この職業を選んでよかった。私の生きがいです」。
最初から答えは出ていた。「実は、シノラーのとき、なんとなく『こうなるだろうな』って想像したのが、いまの私なんです(笑)。髪型も予想したものになっているし」。それならば、さらなる将来も想像しているはずだ。
「そうですね…50代になったら、着物が似合う女性になりたい。着物をデザインしている人になるのが目標です。あと、ご縁があれば、星の王子様にめぐり会いたいと思います。そして孫をシノラーにさせたい(笑)」。『星の教科書』でも王子様の作り方までは教えてくれないようだ。