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ハリルホジッチ新監督とサッカー日本代表を結ぶ摩訶不思議な縁を紐解く

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ハリルホジッチ新監督とサッカー日本代表を結ぶ摩訶不思議な縁を紐解く

 ハリルホジッチ新監督とサッカー日本代表を結ぶ摩訶不思議な縁を紐解く

 

 ヴァイッド・ハリルホジッチ新監督に率いられる日本代表が、いよいよ注目の初陣を迎える。就任するまでは日本でほぼ無名だった62歳の指揮官とは、実は日本代表チームのターニングポイントで幾度となく邂逅(かいこう)している。両者にまつわる不思議な縁を紐解(ひもと)いてみた。

 岡田武史監督のもと、日本代表の左サイドバックに大抜擢(ばってき)された長友佑都選手

日本代表の転換点と絡んだハリルホジッチ氏

 不思議な縁というものを感じずにはいられない。2008年5月24日。豊田スタジアムにコートジボワール代表を迎えた国際親善試合は、その後の日本代表の歴史を語る上でのターニングポイントとなっている。

 岡田武史監督のもとで左サイドバックに大抜擢(ばってき)されたのは、明治大学からFC東京に加入して間もない長友佑都。そして、浦和レッズからブンデスリーガのヴォルフスブルクへ移籍して約半年がたった長谷部誠も代表復帰を果たし、ダブルボランチの一角に名前を連ねた。

 その年の3月に敵地で行われたバーレーン代表とのワールドカップ・アジア3次予選で、0対1と思わぬ苦杯をなめた直後に岡田監督はこう語っている。

 「これからはオレのやり方でやる」。

 病に倒れたイビチャ・オシム氏からバトンを引き継いだのが2007年12月。前任者のスタイルをリスペクトしていた部分もあったのだろう。自分の色を出したいと臨んだ一戦でコートジボワール代表を率いていたのが、日本代表の新監督に就任したヴァイッド・ハリルホジッチ氏だった。

「長谷部・遠藤」の鉄板コンビが誕生した瞬間

 コートジボワール代表監督に就任したばかりのハリルホジッチ氏は「規律と練習」を徹底。FWディディエ・ドログバをはじめとするスター選手にも妥協を許さない指導のもとで、2年あまりの時間のなかで同国史上もっとも攻撃的とされるチームを作り上げていく。

 まだ変貌を遂げていなかったコートジボワール代表に1対0で勝利した岡田監督は、さらなる独自色を出していく。9日後の6月2日に日産スタジアムで行われたオマーン代表とのワールドカップ・アジア3次予選で、それまで攻撃的MFを務めていた遠藤保仁を1列下げてボランチで起用したのだ。

 長谷部と組むダブルボランチはアルベルト・ザッケローニ体制下でも不動のコンビとなり、ハビエル・アギーレ前監督も重用している。5日後に舞台を敵地に移して行われたオマーン代表とのワールドカップ予選では、内田篤人も右サイドバックで先発している。

 その後の日本代表の主流となった「4‐2‐3‐1システム」のもと、パスとボールポゼッションを重視した岡田監督のスタイルは、2010年のワールドカップ南アフリカ大会の直前になって方向転換を強いられる。

南アフリカ大会の快進撃を導いたコートジボワール戦

 大黒柱の司令塔・中村俊輔の不調もあり、岡田ジャパンはセルビア代表、韓国代表、イングランド代表との国際親善試合で黒星を重ねていた。

 迎えた6月4日。直前合宿中のスイスで、岡田ジャパンは再びコートジボワール代表戦と対峙(たいじ)する。ハリルホジッチ氏はその年の2月に行われたアフリカネーションズカップで優勝できなかった責任を取る形で、監督の座を追われていた。

 しかし、同氏のもとで育まれてきた攻撃的スタイルが容赦なく岡田ジャパンを粉砕する。0対2の完敗を喫したことで、岡田監督は背水の陣を敷いた。

 戦術の大転換。中村を外し、最終ラインの前に阿部勇樹をアンカーに置いて守備を固め、ワントップに本田圭佑を抜擢(ばってき)した。日本代表が置かれた現実を直視した「4‐1‐4‐1システム」は奏功し、ワールドカップ本大会でベスト16に進出する快進撃を生み出した。

 理想を追い求めるきっかけになったのがコートジボワール戦ならば、勝負師に徹する決断を導いたのもコートジボワール戦だった。ともにハリルホジッチ氏が直接および間接的に絡んでいた点で、数奇な運命を感じさせる。

ハリルホジッチ監督の「引き出し」の多さへの期待

 近年はワールドカップごとの4年を代表監督の任期として考えてきた日本サッカー界において、その途中で前任者が変わったケースは1997年10月、2007年12月、そして今年3月と3度ある。

 最初の2度は岡田氏が監督として緊急登板したが、ワールドカップ本大会まで残された時間を考えれば、今回のハリルホジッチ氏のケースは「第2次岡田政権」が置かれた状況に似ている。

 岡田監督は試行錯誤を重ね、時にはサポーターやメディアから「非現実的だ」という批判を浴び、オシム前監督とも比較されながら土壇場で「堅守速攻」へたどり着いた。

 ハリルホジッチ氏はどうか。アルジェリア代表を率いた昨夏のブラジル大会では、優勝したドイツ代表を苦しめた決勝トーナメント1回戦を含めた全4試合で異なるシステムを採用。グループリーグの韓国代表戦で自分たちが主導権を握るスタイルでしっかりと勝ち点3をもぎ取り、ロシア代表戦では危なげない戦いで引き分けに持ち込んだ。王者ドイツには堅守速攻型で臨んでいる。

 硬軟併せ持つ柔軟なさい配は、戦い方において複数の「引き出し」を持ち合わせていなかった日本代表が長く求めていたものだ。ロシア大会までの2年あまりという時間があれば指揮官の考え方が十分に浸透し、確実にレベルが上がるのではないだろうか。

 かつてコートジボワール代表を変貌させたときにも、2年でイズムをほぼ完璧に浸透させている。チュニジア代表(3月27日・大分銀行ドーム)とウズベキスタン代表(同31日・味の素スタジアム)を迎える初陣でも、早くも異なる戦い方で臨むことを示唆している。

課題が勝利で覆い隠されてしまったザックジャパン

 実はブラジル大会の直前に、ハリルホジッチ氏と日本代表が再び巡り合うチャンスがあった。アルジェリアサッカー協会から強化試合の申し入れがあったが、日本サッカー協会は断りを入れている。

 アルジェリア協会としては、グループリーグで対戦する「仮想・韓国」として日本代表を位置づけていた。ザックジャパンもコートジボワール代表と同じグループだったが、アルジェリア代表とはタイプが異なると最終的に判断した。

 結果としてザックジャパンはニュージーランド代表、キプロス代表、コスタリカ代表、ザンビア代表に全勝。課題や問題点が勝利とともに覆い隠され、いわゆる「自分たちのサッカー」が封じられたときの処方箋を持ち合わせないままで本大会に突入してしまった。

 ザッケローニ元監督も残念ながら、別の「引き出し」を用意できる器用なタイプではなかった。もしも南アフリカ大会直前のコートジボワール代表戦のように、完敗という「苦い薬」をハリルホジッチ氏が率いるアルジェリア代表から与えられていたら――。

 いまとなっては「たられば」の話になってしまう。だからこそ、ブラジルの地で味わわされた悔しい思いをワクワクする期待感に変えながら、運命の糸に導かれる形で日本代表監督としてタクトをふるうことになった62歳の名将に注目していきたい。

筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。

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