社会そのほか速
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麻薬や覚せい剤をはじめとする危険な薬物は、世間では存在自体が否定される傾向にあります。法的に使用はもちろん所持も禁止され、「ダメ。ゼッタイ。」といったポスターなども見かけます。
これらの啓蒙活動は決して間違ってはいないのですが、何がどうダメなのかの説明が足りません。学校などでチラシを配ったり、ポスターを貼ったりと、熱心な活動はなされていますが、その根拠がわかりづらいのです。
ポスターをどんなに貼っても、麻薬の本当の怖さをまったく知らない人には、身近な先輩から「そんなに悪いものじゃないよ」と一言勧められるだけで、簡単に手を出してしまうのが現実です。十分な情報を与えず、「ダメなものはダメ」と否定するだけでは、何も解決しません。
「学ばざる者は存すと雖も行屍走肉のみ」――後秦の王嘉が撰した志怪小説集『拾遺記』の一節ですが、学ばないという選択肢にはなんの価値もないのです。
そこで今回は、人の心を惑わす悪いクスリについて、「何がどうダメなのか」を知るために、説得力のある解説をいたします。
●脱法ハーブ
まずは、最も物議を醸している脱法ハーブについて説明しましょう。ちなみに、現在は「危険ドラッグ」という曖昧模糊な名前になっていますが、かえって実態が不明瞭になってしまうので、この記事では脱法ハーブという名称を使用します。
まず脱法ハーブとは、ある特殊な植物片をタバコ紙のような紙に巻き、タバコのように煙を吸引するもので、大麻に似た効果、ものによっては大麻以上の精神作用があります。サイケデリックなパッケージの袋に入っているものが多いようです。具体的な症状はまちまちで、気持ちが落ち着いたり、食欲が増して食べ物がおいしく感じられたり、感情があふれ出たり、幻覚を見るものもあります。
脱法ハーブが出回り始めた当初は、大麻に匹敵するような精神作用を持つ植物が含まれているとみられていましたが、実は植物片はトケイソウやドワーフスカルキャップ、ライオンテールといった特に強い害がない葉で、これらに合成大麻類似成分が混ぜられているのです。
合成大麻類似成分とは、がんなどのひどい痛みを伴う病のために、モルヒネ以外の鎮痛剤を開発しようとして生み出された薬物です。現在確認されているだけで800種類を優に超えており、これらへ個別に法の網をかけるのはとても困難な状況です。合成大麻類似成分は大きく「CPシリーズ」と「JWHシリーズ」に分けられます。 CPシリーズは、1970年代にバイアグラでも知られるアメリカの製薬企業、ファイザーが向精神薬であるTHC(テトラヒドロカンナビノール)の鎮痛成分を高めた類似体を研究して生成したのが始まりです。一方のJWHシリーズは、95年に米クレムソン大学のジョン・W・ハフマン博士がTHCを模して作成した化合物で、神経科学の基礎研究的なものでした。
99年頃、インターネットでは大麻成分が石油化学的に生成できるというハフマン博士の論文が支持され、実際に作る人も現れましたが、「効果が強力で著しく危険」「臨床データが少なすぎて不気味」「ひどい記憶障害を起こすなど、危険な作用が生じている」と、危険視する指摘が相次ぎ、次第に沈静化しました。
しかし2006年に、イギリスのサイケデリ社から「スパイス」と呼ばれる脱法ハーブが登場しました。JWH 018という成分を中心に、いくつかの脱法ハーブを混合した薬物を植物片に混ぜて販売開始したところ瞬く間に口コミで広まり、07年にはヨーロッパ中でスパイスが販売されました。
社会に広まると、各国当局も成分や効果を検査し始めましたが、製造元は検査を難しくするために、さまざまなダミー成分を混ぜるなど偽装工作を施していたために分析は難航しました。この分析の戸口を最初に開いたのは、ドイツのフランクフルトにある医療用大麻製剤を作っている会社でした。この会社と複数の大学が共同して分析したところ、実際に医療用大麻製剤の研究の一環として、これらの大麻類似成分を合成していたデータがあり、成分が判明しました。
これらの脱法ハーブは、合成した薬剤を植物片に振りかけただけなのでムラが生じやすく、分析したサンプルの中でも有効成分は0.3~3%と10倍もの偏りがありました。もともと強力な作用があるため、成分が濃い場合には意識変容が数日間も続いたりする恐れなど、場合によっては麻薬をも上回る危険がありました。
08年に入ると、ヨーロッパ諸国内では作りきれなくなったのか、生産の場は中国に移りました。その結果、生産量は爆発的に増加し、世界中に拡散するようになり、日本でも流行しだしたのです。さらに中国の反社会的組織がそれらの技術を取り込んで大量生産を始め、昨今の日本でも大量に出回るようになったといわれています。●医療用大麻
他方、大麻は医療に使われている薬物です。意外に思う人もいるかもしれませんが、カナダやアメリカの一部の州、ドイツやイギリスといった先進国をはじめとして、多くの国で制吐剤、鎮静剤、そしてモルヒネのような副作用の強い疼痛緩和剤の代用として、大麻や大麻類似成分が使われています。ちなみに日本では、大麻取締法にて禁止されているため、医療分野でも使われていません。
この温度差は、どのように生まれたのでしょうか。例えばアメリカと日本で比べてみると、法的な扱いに対応の差があることがわかります。
そもそもアメリカには、麻薬という法的なカテゴリーはありません。語弊が生じそうですので詳細に説明すると、法律に直接麻薬という言葉は表れず、医療用薬物も麻薬的薬物も含め、許可なく所持・使用を禁じる薬剤から市販薬まで「規制物質法」で一律に管理しているのです。
カテゴリーをスケジュール1~5に分けており、一見、日本の麻薬関連法と似ていますが、規制物質法ではスケジュール1にヘロイン、MDMA、大麻などの危険薬物、スケジュール2にコカイン、アンフェタミンと並んで、注意欠如多動性障害(ADHD)に処方される薬剤のメチルフェニデート(リタリン)も明記されています。医療用大麻としては、マリノールという化学合成されたTHCの錠剤がスケジュール3にカテゴライズされております。
要するに、濫用の危険度に合わせてカテゴリー分けをしており、日本では使用が禁止されている薬物についても、医師や薬剤師の判断で使うことが可能とされているのです。日本では、医療用覚醒剤(ヒロポン)や疼痛緩和薬としてのモルヒネ以外はほとんど使用不可とされています。
これが良いか悪いかは一概にいえませんが、別枠で法規制をしている日本では、医療用としてでも大麻を非常に使いにくい状況は続くでしょう。
●合成大麻と大麻成分
大麻の代表的成分である△9-THCと、代表的な脱法ハーブの成分2種類を並べてみると、形が似ています。薬において分子構造は非常に大切で、大麻の成分は脳の中にあるカンナビノイドレセプターという受容体にぴったりはまるようにできています。
厳密には、これらのレセプターには種類があり、またレセプターの分布場所によっても効果は大きく変わってくるのですが、ここでは割愛します。 そもそも、どうしてそんな受容体があるのかといいますと、命にかかわるようなケガをした場合などの状況下で生き残る確率を上げるために、脳内にはさまざまな麻薬的物質が存在しています。多くの人が一度は耳にしたことがある「脳内麻薬」と呼ばれるものがそれです。
そうした受容体に大麻の成分や合成大麻類似成分がはまると、心地よくなったり、食欲が増進したり、吐き気が止まったり、痛みが抑えられたり、幻覚を見たりといった効果が発現するのです。
例えば、幻覚を見たり、気分が高揚する効果は医薬品としては望ましくないため、そのような作用を極力出さずに痛みを和らげる効果を引き出すことを目的として開発されたのがCPシリーズなのです。
こうした基礎研究は日々行われており、その研究成果の一部が犯罪組織などの資金稼ぎの一環として商業化されたもの――それが脱法ハーブの根幹なのです。つまり、脱法ハーブの成分である合成大麻類似成分の多くは、あくまで研究の一環として作られたにすぎないため、長期的な毒性や依存性などは、ほとんど実験データが存在しません。
しかし試験管内の実験では、神経細胞を殺すことも確認されており、大麻よりも人体に危険な可能性が濃厚といえます。さらに、脱法ハーブの製造販売組織は、イタチゴッコの法規制をすり抜けるために未知の成分をハイペースに生み出し、試験的に市場に流し込んでいます。中には、麻薬というより神経毒に近い成分も数多く検出されています。
これが現在の脱法ハーブの現実です。もはや、そうした脱法ハーブの販売業者は絶対に自らが販売する商品には手をつけないといわれるほどです。つまり、あまりに危険であるために手を出せないほどなのです。
ここまで詳しく知れば、まだ脱法ハーブを試してみたいという人はいなくなるのではないでしょうか。
(文=へるどくたークラレ/サイエンスライター)