社会そのほか速
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娯楽として聴くための楽曲だけが音楽ではないし、自らの感情を曲に込めて作曲し、ライブをすることだけが、必ずしも現代における「正しい」音楽家のあり方ではない。そう指摘するのは、先日約8年ぶりの新作ソロアルバム『Sinkai』をリリースした音楽家・小野寺唯だ。今回のリリースまでの数年間、小野寺は様々な表現者たちと交わり、他の音楽家だけでなく、パフォーマー、建築家といった様々な表現者たちとも旺盛に交流してきた。さらに、音響建築設計や空間・プロダクトのためのサウンドデザインなども手掛けながら、音楽とそれを巡る環境について考え続けてきたという。
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そんな小野寺の対談相手を務める荏開津広は、長きにわたりDJとして活躍した経歴を持ち、日本のクラブカルチャーを牽引してきた人物の一人。そんな彼は、近年では現代アーティストの竹内公太や大山エンリコイサムらも出展する展覧会『SIDE CORE』や、ポンピドゥー・センターの実験映像祭『オール・ピスト』の日本版にキュレーターとして参加。ストリートカルチャーを足がかりに、音楽だけでなくアートの領域への造詣も深い人物だ。
「音楽」に向き合い続け、日常空間と芸術の境界を志向する旧知の二人の話題は、小野寺の新作のリリースの話題をきっかけに、あらためて見直されるべき音の社会的機能や意義、そこに現れる未来の音楽家像にまで話が及んだ。これは、ストリートカルチャーの愛好者や都市計画関係者、そしてなにより音楽ファンにこそ知ってほしい世界が、そこには広がっていた。
■音楽そのものだけでなく、それが鳴らされる空間にも向き合いたい。(小野寺)
―小野寺さんは、主にフィールドレコーディングで採集した音を用いての楽曲制作を続けていらっしゃるそうですね。2007年にソロアルバム『suisei』を発表された後、音楽以外の分野、特に建築の分野と積極的に関わってこられたそうですが、なぜ「建築」に向かわれたのでしょうか?
小野寺: 前作をリリースした直後、当時やりたかった事をすべてそこにつぎ込んだので、アルバムを制作する動機がもう無いな、と思ってしまったんです。そこから、国内外の音楽家や他分野のアーティストとのコラボレーション、サウンドインスタレーションなどを行うようになったのですが、次第に音楽そのものに向き合うだけでなく、それが鳴らされる空間にも手を加えたくなっていきました。音楽が「料理」だとしたら、それを盛りつける「器」まで責任を持ってデザインしたい。そんな思いから建築の世界に飛び込み、「音響建築設計」という分野に辿り着きました。
―「音響建築設計」というのはあまり耳慣れない言葉ですが、どういった領域なのでしょうか?
小野寺:一言で言うと、音楽を奏でるための空間の設計です。コンサートホールやスタジオなどで、部屋の形や窓の位置、壁や床の材質、電気設備などが音に対して与えるあらゆる影響を考慮した設計を行います。ただ、僕が最も興味を持っていたのは、より日常に近い環境での音と空間との関係でした。たとえば、ある部屋を設計しようとするとき「外や隣の部屋からの音を完全に遮断する」というような課題は、ごく自然に設定されますよね。つまり音というものは設計の世界ではネガティブな要素として扱われがちなんです。一方で、オフィスや店舗においては、オーナーの好みや有線放送など、漠然とした理由で音楽が流れているケースも多い。
―以前、蕎麦屋でR&Bが流れていたことがあって、店主の趣味なのかもしれませんが「どんな気分で蕎麦を食えばいいんだ」と戸惑った経験があります(笑)。あと、歯医者でジャズが流れていたりもしますよね。
小野寺:実は歯医者は、この分野では先進的なんですよ。待合室の奥から聞こえてくるドリルの音は受診前の患者に対して精神的な影響を与えるので、それを緩和すべく、他の医療機関よりも比較的先んじて、現場の音環境を意識的にデザインすることをはじめたんです。
―あのジャズにはそんな背景があったんですね。
小野寺:メンタルを気遣う場では、そのような取り組みも早いです。最近だと、アロマテラピーサロンやカフェなどの音環境に音楽家が携わる例もあります。このように、ネガティブでも無関心でもなく、ポジティブかつ積極的に音を空間に取り入れる試みがもっとあっても良いんじゃないか。それがモチベーションとなり、空間のための音をデザインするといったサウンドデザインの仕事もするようになりました。この領域は、すでに海外では空港やオフィス、ショップなどの商業・公共空間に取り入れられていて、徐々に一般化しつつあります。
■都市的で混成的な体験の可能性を探りたい。(荏開津)
―一方の荏開津さんは、かねてよりDJをされており、クラブカルチャーシーンやストリートカルチャーシーンにお詳しいですが、近年は展覧会企画『SIDE CORE』のキュレーターをされていますね。
荏開津:『SIDE CORE』は、アーティストとアートアドミニストレーター、デザイナーなどによる企画で、これまで4回の展覧会を行ってきました。僕がディレクションを務めた第2回の『SIDE CORE -身体/媒体/グラフィティ-』は現代美術とグラフィティやポップカルチャーの重なりあう領域に何かを見いだせないか、という試みでした。もうひとつ、パリのポンピドゥー・センターが始め、今年の6月17日より京都で開催される『オール・ピスト京都』という実験映像祭にも、プログラムディレクターとして携わっています。そちらに関わるきっかけとなった2012年の『オール・ピスト東京』では、椅子に座り黙ってスクリーンを見るような映像の上映会だけでなく、たとえば、パフォーマンスグループcontact Gonzoとダンスカンパニーのクリウィムバアニーが入り交じって走っている中、サックス奏者の清水靖晃さんが即興演奏を行い、そこに映像作家クリス・マルケルの映像が流れているというような、従来とは異なる鑑賞の場も設定されていました。
―日常生活と芸術との関わり方や、その「あわい」を追求されている辺りが、先ほどの小野寺さんの活動と通じる部分のように思います。
荏開津:そうかもしれません。現実の街の中では異なる領域の表現や現象が意図せず重なり、どちらとも言えない状態で存在していますよね。いろんな物事が同時多発的に起きている。美術館や映画館で作品に向き合うような鑑賞形態も良いですし、大好きですが、長年DJをやり、クラブカルチャーやストリートカルチャーに青春を捧げた身としては(笑)、さきほどご紹介した『オール・ピスト』のように都市的で混成的な体験の可能性を探りたい。そういう視点で考えるとき、小野寺さんの活動にもシンパシーを感じ、強く興味を引かれるんです。
■ブライアン・イーノの考え方に刺激を受け、自己表現としての音以外の可能性を考えるようになりました。(小野寺)
―小野寺さんが、空間における音楽のあり方に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう?
小野寺:もとはNirvanaが好きなロック少年で、音楽専門学校でギターを学んでいました。ところが、日本の中流家庭に育った自分の中には、ロックの源流にあるような反体制的なスピリット、音楽や言葉を通じて強烈に伝えたいメッセージのようなものがまったくないことに気がついて、そんな自分がロックを続けることに違和感を持ちはじめました。そんな折、音楽史の授業でブライアン・イーノのアンビエントミュージック(一般に「環境音楽」と呼ばれる、イーノの提唱した新しい音楽形態)を聴いたんです。イーノは、音楽には作曲者のメッセージを一方的に発信するためだけではなく、たとえば空港で鳴らすことを前提とした『Music For Airports』のように、照明や家具に近い、環境を補完するデザイン要素としての音の機能や存在意義もある、というコンセプトを打ち立てた。そういった、娯楽以外での音のあり方に刺激を受け、自分でもエモーショナルな自己表現としての音以外の可能性を考えるようになりました。
荏開津:「音楽と空間」と言っても、普通の音楽家は、自分の作った曲がコンサートホールやライブ会場でいかなる音質で演奏されるか、という点への関心が強いでしょう。そこを飛び越えて、建築そのものにも関与しようとするところが、小野寺さんの特徴的な所だと思います。サウンドアートの領域というのは以前からありますが、小野寺さんの関心や活動はもっと広い可能性へと向かっているような気がします。
小野寺:単純に音だけのことを考えるとなると、どうしてもアウトプットに限界があると思います。僕は、評価の基準が特定の感情や感覚に回収されないような音のあり方に興味があって、細かいところまで隠喩で埋め尽くされた作品のほうが好感が持てるんです。さきほどの荏開津さんの発言に関してですが、たまにライブをやると、僕たち音を発する側と、その音を受け取る側とのコミュニケーションの密度が気になってしまうのですが、そこには常にライブ空間そのものへの懐疑がありました。極端な言い方をすれば最近ではアルバムというフレームにも疑問があって、できれば音楽と一緒にそれが適切に受け取られる空間そのものも提供したいと思っているんです。たとえばサウンドシステムとソフトが組み込まれた部屋をオートクチュールで作る。実はそういった志向の商品は、大手メーカーからすでに商品化されています。たとえばパイオニアさんは、ACCOというサウンドシステムと長い年月をかけてアーカイブ化された環境音を使用して、家中のあらゆる音を1か所で操作可能なシステムも販売しています。
荏開津:音響建築、いや、建築の姿をしたスピーカーを作りたいのかな? と思うだけでも痛快ですが、とはいえ小野寺さんは、いわゆるオーディオマニア的な、高音質へのこだわりが強い人というわけでもない。オーディオマニア的志向がいわば「コントローラブル」な音を追求するものだとすれば、小野寺さんは音が「アンコントローラブル」な都市空間への関心も持っていますよね。
小野寺:はい。実は僕も、荏開津さんと同じようにグラフィティが好きなんです。街並の中に突然現れるゲリラ性が好きなんですが、それは、都市空間の生成のされ方にも非常に似ているからだと思います。現代の都市計画って時間がかかりすぎる故に決定時点では時代遅れになっている可能性が高いので、マスタープランが描かれることが少ないんです。つまり、企業や個人各々の意思が、それぞれ細胞のように育ちながら形になることで現代都市は出来ている。そのプロセスは、ある個人の意思が街の景観に介入していくことで変化が起きる、グラフィティとも通じていると思うんです。一方の音楽は、まだまだアルバムといったパッケージや、演奏会場のような閉じた場で発表することをもって完成である、という考え方が一般的です。でもそれを、路上や駅のようなより日常に近い場所でゲリラ的に流すことがあってもいいんじゃないかなと。ごく日常的に耳に入ってくる情報にもう少し気を使うだけで、日々の暮らしが楽しく豊かになるんじゃないかと思うんです。
荏開津:グラフィティが意図せずとも日常生活で視界に入ってきてしまう、それと同じような受容の形を、音楽の分野でも広げたいということですか?
小野寺:そうです。先ほどの住居の例も家の中で「高音質で音を聴いてほしい」ということではなくて、たとえばキッチンで料理をする人が、流れる水の音と混ざった状態で聴くための音楽があってもいいんじゃないか。そういった、日常空間での居心地の良さにつながるような音の機能について、空間単位で考えたいということなんです。面白いことに、先ほど例に挙げた音響システムを備えた住宅への関心は、男性よりも女性の方が高いそうです。男性は一般的に技術的に突き詰めるような「高音質」を追求する傾向にある。対して女性は、カーテンや照明を選ぶように、空間のデザイン要素の1つとして音を求める。そういう意味では女性の方が、より日常生活での居心地の良し悪しに敏感なのかもしれません。
■小野寺さんの考え方には、音楽を「個人のもので終わらせない」という意識がある。僕はそこにすごく共感しています。(荏開津)
荏開津:少し話はズレますが、ウォークマンの普及以降、僕らは音楽を携帯して聴くことに慣れていますよね。そこには個人で聴いて、個人の中で終わる音楽が一定数存在している。でも、小野寺さんの考え方には、音楽を「個人のもので終わらせない」という意識が一貫してある。僕はそこにすごく共感しています。何度か話題に上がっているグラフィティは、もともとはニューヨークの貧困街から生まれた文化で、その初期の担い手は、公立高校に通う若者たちでした。不景気の煽りで市の財政状況が悪くなると、日本でいうクラブ活動のような放課後の学校のプログラムから切り捨てられます。そこで、家庭にも学校にも居場所を失った子たちが街中にたむろし、壁にグラフィティを描き始めた。やむにやまれぬ状況から生まれた表現だったわけですが、結果的にそれは、世界中に離散したのです。
―都市に住む若者の、社会的なコミュニケーションツールの1つとしてグラフィティが存在しているわけですね。音のゲリラ性といえば、若年層にしか聞こえない周波数の不快な音を流し、その場所からの若者の撤退を促す「モスキート音」のような例もありますが、街中での音のそうした使われ方についてはどう考えますか?
小野寺:そうした使い方も、当然ありうると思います。
荏開津:誰だって、手段があれば使いますよ。
小野寺:音によって見えない柵を立てるようなものですしね。それに、音楽を物理的、心理的に作用させるような方法で、権力者が政治的に利用したケースは歴史的にもあるわけで。むしろ問題なのは、ポジティブな意味もネガティブな意味も含めて、そうした日常をとりまく音環境に対する意識がいまだに希薄であることだと思います。最近、プロジェクションマッピングに代表されるような「見えるデザイン」は飛躍的な進化を遂げて、飽和状態にすらなっていますよね。ところが、音や匂いのような「見えないデザイン」については、いまだにあまり意識されていない。それはなぜなのかと疑問に思うんです。また、時代と共に音楽を巡る環境は目まぐるしく変化していますし、これからの音楽家にはアルバムを作りライブをやるという従来のスタイルだけでなく、より積極的に社会に関与していくことが求められ始めていると思います。表現としてだけでなく、デザイン要素としての音楽の側面も重要になっているということです。
■一度は離れたCDアルバムという形式を再び選択するからには、音楽家として新しいことをしたかった。(小野寺)
―そうした問題意識をお持ちの中、なぜ今回、再びソロアルバムを出すことになったのでしょうか?
小野寺:僕は自分の世代が、アルバムという形式に特別な価値を感じている最後の世代なのではないかと思っているんです。最近は音楽を巡る環境が大きく変化していて、若い人だけでなく、アルバムを1枚通して聴けない人も多いと聞きます。そういう時代だからこそ、1枚を通して聴いてもらえるようなもの作ろうと思ったんです。僕は録音作品としての音楽に慣れ親しんでいたので、特にソロアルバムの場合は純粋に「聴く」ためだけの音楽を作りたいという思いが強い。そのため結果的に、自分の作品も録音芸術としての側面が非常に色濃くなっていると思います。およそ8年もの時間がかかったのは、アルバム全体のコンセプトがなかなか見えてこなかったから。ソロアルバムの場合はほかのプロジェクトに比べて最も自由度が高いので、出来るだけほかでは出来ないような、実験的で、新しいことをしたかったんです。
―前作に比べて「新しいこと」とは、具体的にどんなことですか?
小野寺:前作を制作した頃は、ちょうどハンディで手軽に手に入る価格帯のフィールドレコーディング用の機材が普及し始めた頃でした。音楽用ソフトウェアも家庭用コンピューターで充分に使用できるようになり、録音した身の周りの音をコンピューターで直接加工できるようになったので、必然的にそれらを組み合わせて音楽を作っていました。ところが、そういった音楽もいまではジャンルミュージック化し、焼き増しみたいなものばかりになってしまっている。その中でどんな冒険をするのか。同じような音素材や道具を使いながら従来とは異なる印象の音を作れないかと模索していたら、次第にダブに近づいて行ったんです(笑)。あまりこういう文脈的バランスの音楽がないなとも思ったので、これなら出す意味があるなと。
荏開津:たしかに、いまこの時代にアルバムという形式で作品を発表する上で、ダブに行き着くのは合点がいきます。ダブというのは、録音されたテープを素材に、それを音響機材で再加工していくことで全く違う作品に作り替えてしまう音楽です。優れたダブは、ただサウンドにエフェクトをかけただけでなく、音楽そのものが録音芸術であることをメタ的に扱っている。小野寺さんのように、アルバムというアウトプットに疑問を持った人がそこに向かうのは自然だと思います。
■自己表現ではなく、何かのための音楽として存在する表現。最近の僕には率先して制限を探しに行こうという意識があります。(小野寺)
―もう1つ、都市におけるサウンドデザインでいうと、2020年のオリンピックの話題があるかと思います。東京の音環境は、今後どう姿を変えていくべきだと思いますか?
小野寺:オリンピックは、音に限らず、公共空間の中のあらゆるデザインを考え直す良い機会ではないかと思います。開会式の音楽を誰がやるかいう話題もありますが、東京という都市全体の音のあり方にも、もっと目を向けてほしい。たとえば、都内の駅であの複雑な路線図を見たとき「もう今日はホテルにいよう」と思う観光客は多いんじゃないか(笑)。言語の異なる人々に対して何らかの音を使ってサポートする仕組みがあっても面白いかもしれません。都市空間での音の機能やデザインについて充分な議論がされ、訪れる方々にとって親切で革新的なことが行われることに期待したいです。都市空間とは消費や生産の場でもあると同時にコミュニケーションの場でもあるわけで、グラフティのように、音も環境を舞台に何かコミュニケートできるのではと思います。
―それは面白そうな視点ですね。普段はあまり意識することがありませんが、街で聴こえるあらゆる音にも、その音の作り手が存在するわけですよね。
小野寺:都市の中のサウンドデザインに関していうと、駅の発車ベルや信号機の音などを作るサウンドデザイナーはこれまでもいましたが、そのような仕事にはなかなかスポットがあたってこなかったと思うんです。発車ベルのメロディーは、当然単なる自己表現としての音では成立しません。ホーム上の人の命にも関わるため、どの周波数だったら瞬時に耳に届くかというような機能面での工夫も追求せざるを得ない。そういった制限の中で最適な音を目指すということ自体が面白いと思います。イーノの『Music For Airports』になぞらえれば、「Music For~」の「~」を考えるのが醍醐味なんです。自分の心情を投影する自己表現ではなく、何かのための音楽として存在する表現もある。そういう意味では建築なんて制限だらけです。法規もあるし、クライアントもいるし、もちろんそこに集う人々のことも徹底的に考える。でも、制限があるからこそ生まれた斬新な表現もたくさんありますし、最近の僕にはむしろ率先して制限を探しに行こうという意識があります。
荏開津:従来の音楽産業の作ってきたマーケットだけを頼って自分の作りたい音楽を作り続けるというスタンスだけでなく、アルバムを作ってライブをするというサイクルからはみ出して、サウンドデザインの領域で活躍する音楽家が増えて行くのはとても自然な流れだし、必要なことだとも思います。これは、サウンドアート的な考えを大学で勉強した人たちだけでなく、それこそストリートミュージシャンが自分の音楽と場の関係を考え直す時代に来ているのではないか、ということです。
―小野寺さんのように、作品としての楽曲作り以外の活動も多くやられていると、経済的にもそこである程度余裕ができるから、結果的にアルバムをより必然性を持ってリリースできるのかもしれませんね。従来では音楽家の「副業」のように捉えられてきていた仕事の増加は、ポジティブに言えば音楽を続けるうえでの選択肢が増えたということでもある。
荏開津:未来の音楽家像にも見えますね。
小野寺:もちろん、今でも様々な仕事をしながら音楽を続けている音楽家は大勢いますが、音楽そのものはアルバムとしてリリースするのがプロの音楽家、というイメージは根強かった。音楽を愛している人ほど、そのイメージから抜け出せなくなってしまう事も多い気がします。でも僕はもっと音の社会的な価値について考えたいし、これからも、自分自身の作品としての音源リリースだけでなく、サウンドデザインや映画音楽など、あらゆる音の領域に挑戦していきたいと思います。新しい音の可能性を見続けたいですから。