社会そのほか速
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■ワールドカップが釜石にやってくる!
鎮魂の「3.11」を前に、ラグビー界でうれしいことがふたつ、重なった。ひとつは清宮克幸監督率いるヤマハ発動機が日本一になったこと、もうひとつが被災地の岩手県釜石市が2019年ワールドカップ(W杯)の開催地に決まったことである。
いずれも4年間のハードワーク(努力)とち密な準備の結果なのだが、何より「挑戦する価値」を教えてくれる。「希望」を持って生きることがいかに大切か。
3月2日。釜石がW杯開催地に決まった夜、ぼくは発表の様子を生中継するパブリックビューイングが行われた釜石の老舗旅館「宝来館」にいた。歓喜の輪から外れ、釜石市W杯担当の増田久士さんが携帯電話をかけていた。相手はだれかと思ったら、清宮監督だった。内容は、これまでの釜石支援のお礼と、日本一のお祝いだったようだ。
振り返れば、清宮監督がヤマハ監督に就いた年、東日本大震災がおきた。その惨状にいち早く反応し、同監督は釜石シーウェイブス(SW)事務局長(当時)の増田さんに電話をかけ、支援を申し出た。2011年6月、ヤマハは釜石で釜石SWと復興支援試合をやることになった。
ヤマハはすべて自己負担、自社製の30台の電動アシスト付き自転車を持ってきた。あの日のグラウンド脇の市民の笑顔と大漁旗がまぶたに残っている。清宮監督と選手たちは被災地のガレキの山も目にし、何かを感じたはずだ。たしか、同監督は試合後、こう漏らした。「将来、あの時、釜石にいったから、強くなったと言いたいですね」と。
■全国に勇気を与える2つの「奇跡」
その日から4年足らず、有言実行の清宮監督はどん底だったチームを日本選手権優勝に導いた。この勝利はきっと、全国の弱小チームに勇気を与えたことだろう。ハードワークを積み重ねればチームは変わるのだ。
さらには釜石の「奇跡」である。前人未到のV7を果たした“北の鉄人”新日鉄釜石があった「ラグビーのまち」とはいえ、人口3万6000人の地方都市である。しかも、震災で町は津波にのまれ、W杯用のスタジアムもまだ、ない。あるのは市民の熱意だけだった。
絶望の淵をさまよった市民たちが、希望を持ったのである。実現性を疑う声に、増田さんはこんなことをしみじみと言っていた。
「こんな震災にあった小さな町が、全国と勝負できること自体が、釜石にとっては貴重な経験なのです」
釜石は、そのW杯招致レースに勝った。W杯は、30年後、50年後の町づくりの契機となる。…