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江戸時代に再建が計画されたが実現しなかった長野市の善光寺五重塔の設計図が、市内の住宅で見つかり、所有者の親族が28日、同寺に寄贈した。同寺はほぼ同一の設計図を所蔵しており、「図面を複数作り、建設資金集めに利用したのでは」とみている。
華道の師匠として松代藩に仕えた田口家の子孫宅で約2年前に見つかった。設計図は墨書で、長さ270センチ、幅90センチ。「寛政八丙辰(へいしん)年九月吉日」(1796年)と記され、高さ約50メートル、幅約10メートルの大型塔として計画された。以前、五重塔が同寺に存在していたことが鎌倉時代の資料などにより確認されているが、その後焼失したとされる。再建計画は、倹約令を出していた幕府が許可しなかったという。
設計図は、6年ごとの大法要・善光寺御開帳期間中(4月5日〜5月31日)、大本願宝物殿で展示される。【野口麗子】