社会そのほか速
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韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、刃物で切りつけられて負傷したアメリカのリッパート韓国駐在大使を見舞うため、9日、ソウルの病院を訪れました。
大統領は中東4か国の訪問を終えたばかりですが、空港から病院へ直行しました。大使を見舞った大統領は、「大使の毅然とした姿を見て、アメリカと韓国の国民は感動しました」と述べました。
また、朴大統領自身もかつて切りつけられた事件に遭ったことに話が及ぶと、リッパート大使は、「同じ病院で治療を受けたのも縁だと思います。助かって得られた人生を両国関係の発展に尽くします」と応じました。(09日16:23)

【ソウル共同】韓国の朴槿恵大統領の動静に関する記事で朴氏の名誉を毀損したとして在宅起訴された産経新聞ソウル支局の加藤達也前支局長(48)の公判が9日、ソウル中央地裁で開かれた。
昨年4月16日の旅客船セウォル号沈没事故当日に朴氏が元側近のチョン・ユンフェ氏と密会していたとのうわさを記事で書いたことが問題にされた。9日の公判にはチョン氏の知人男性が証人として出廷し、沈没事故の日にチョン氏は自分と食事をしていたと述べた。チョン氏と朴氏は事故当日に会っていないとの検察の主張に沿う証言。

面白くて、明るくて、心が広い、最高のお父さん。幼い頃のIMALUと長男にとって、明石家さんまとの毎日はワクワクの連続だったことだろう。さんまはどんなに疲れていても、子どもたちの喜ぶ顔が見たかったのだ。
3月7日放送のラジオ番組『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)内で、幼い頃“どんなイタズラをして親に怒られたか”の話題になった。若い出演者らは自分がしでかしたエピソードを披露する中、明石家さんまはIMALUの兄との思い出を語っていた。
さんまが大竹しのぶと結婚していたのは、『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』等の人気番組のレギュラーやCM、ドラマと大活躍していた彼の第一次黄金期の頃である。仕事を終え自宅に帰るのは、いつも朝の4~5時頃だったと話す。
ある日、長男が幼稚園に行く前に、寝ているさんまの背中に氷を入れるというイタズラをしてきた。とっさに出た言葉が「アイス、いや~ん」。その返しに長男も一緒にいた妹のIMALUも、大喜びしていたという。彼らには父親のリアクションが、よほど面白かったのだろう。それから約2週間、毎朝さんまに同じイタズラが仕掛けられたのだ。
だが長男が登園する時間帯は、彼がやっと熟睡し始めた頃。イタズラが始まってから5日目くらいに“あっ、冷たい!”と無意識にさんまは手で払いのけようとし、長男の顔にぶつかってしまったことがあった。「わあ~ん」と大泣きする長男に、「ごめん、ごめん」と謝ったというさんま。それでも次の日から、また氷を持って子どもらは、寝ているさんまに近づいてきた。
今度は氷を背中に入れられる前に「なんか、変なヨカ~ン(予感)」と言いながら起き上がり、さらに子どもたちには大ウケだったそうだ。しかしさんまの本音は、“あれはしんどかった、飽きさすまで”。そこまでして、子どものイタズラの相手をしたのはなぜだろうか。
さんまは、「楽しく(長男が)幼稚園に行けるなら、これはお父さんの役目」と言い切る。長男のイタズラは、不在がちな父親を慕っているからこその行為だからと、容認しているのだ。それにしても「なんか、変なヨカ~ン(予感)」という台詞は当時、子どもたちが好きだったビデオでドナルドダックが口にしていた言葉だといい、さんまはどんなに忙しくても彼らと遊ぶ時間を確保していたかが分かる。
離婚が決まった時、長男はさんまと一緒にいたいと主張したと伝えられている。また大竹の連れ子だった長男に負担をかけさせまいと、自分のことを父ではなく“ボス”と呼ばせ、IMALUにも同じ呼び方をさせたのは有名な話だ。2人の子が「すくすく育って不良にならず、これだけでも良かった」とラジオで語っていたさんまの言葉は、感慨深いものであった。
(TechinsightJapan編集部 みやび)

(台北 9日 中央社)台北市中心部の老舗ナイトクラブ「ラクシー」が3月下旬に閉店することが、このほど分かった。同店のフェイスブック上では、今月20、21日に開催する閉店パーティーの告知がされている。
2003年に開業した同店は、台北を代表する大型ナイトクラブとして、台湾のみならず、海外の若者からの支持を集めていた。外国の有名DJを招いたイベントを実施するほか、米ヒップホップグループ「ブラック・アイド・ピーズ」や豪出身の歌手カイリー・ミノーグなどの国際的アーティストらがパーティーを開くこともあった。
ナイトクラブに詳しい人は、新たな店舗のオープンによる競争の激化や、昨年9月に市内の別の店で発生した警察官殺人事件以降の取り締まり強化などにより、店舗の経営が厳しくなってきているのが閉店の原因なのではないかと話した。
同店では今年1月1日に行われた台北市警による抜き打ち検査で、店内にいた50人あまりが違法ドラッグ吸引の疑いで、取り調べのため警察署に連行される騒ぎがあった。
(編集:名切千絵)

2015年3月19日、「Mr.200%」ことプロレスラー『安生洋二』がついに引退する。同日は自らがリーダーを務める3人組ユニット、「ゴールデンカップス」の高山善廣・山本喧一とタッグを組み、船木誠勝・鈴木みのる・菊田早苗組と対戦する予定だ。
安生洋二……。強さと脆さ・幻想と現実・シリアスとユーモラスを兼ね備えた、ある意味最もプロレスラーらしいプロレスラーである。そんな安生洋二の試合がYouTube上にアップされているので、彼の軌跡を辿りつつご紹介したい。
・「安生はガチ」伝説
安生のキャリアは、当時絶大な人気を誇ったUWFでスタートしている。前田日明・高田伸彦・藤原喜明・船木誠勝など、そうそうたるメンバーが揃う中、安生の名を一躍有名にしたのが1989年東京ドームで行われた、チャンプア・ゲッソンリットとの異種格闘技戦である。
当時ムエタイ界最強と呼ばれたチャンプアと引き分けた安生に、ファンの間では「安生はガチ」と幻想が広がった。1994年、単身グレイシー道場に殴り込み、ヒクソン・グレーシーに返り討ちにされた際、「あの安生が……!」と衝撃を受けたファンは多かったことだろう。
・プロレスラーとしての才能
その後、新日本プロレスとUWFインターナショナルの対抗戦でプロレスラーとしての才能を開花させ、自身が設立したキングダムや、プロレスイベント・ハッスルで活躍した。かの有名な長州力の「キレてないですよ」(正確には「キレちゃいないよ」)を、引き出したのも安生である。
そんな安生はガチでもマジで強かったとされるが、個人的にはプロレスラーとしての才能の方がより稀有であったと思う。試合運びの巧みさはもちろんのこと、技を受けるタイミングは抜群。さらには表情一つで観客をヒートアップさせる術を持っており、安生の試合にハズレはなかった。
ファンは憎たらしい安生に狂ったようなブーイングを浴びせ続けながらも、彼の強さや巧さ、何より「プロレスラー・安生洋二」の才能を認めていた。故・冬木弘道と並び日本プロレス史に名を残す、「愛され憎まれ系ヒールレスラー」と言えるだろう。
・2015年3.19(サンテンイチキュー)に引退
今回ご紹介する動画は、UWFインターナショナル時代、新日本プロレスとの対抗戦のもの2本である。どちらの試合もリングをコントロールしているのは紛れもなく安生であり、彼がいかに試合巧者であったかがわかるものとなっている。…