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「報恩の至誠を以(も)って国家に尽くす」――。浄土真宗の真宗大谷派が1937年4月、末寺や門徒に対して、今後、守り、実践すべき3か条の教義として発布した「同朋箴規(どうぼうしんき)」の額が、岐阜県養老町の同派寺院で見つかった。発布されたのは日中戦争が始まる3か月前。仏教各派が国家主義に染まり、報国意識の高揚や大陸布教など戦争協力を強めていく中、同派が残した足跡の一つ。額は18日から、名古屋市中区橘の同派名古屋別院(東別院)で開催される第26回平和展で特別展示される。
「同朋箴規」が見つかったのは養老町栗笠の専了寺=玉井学住職(70)=。「報恩至誠」を含め、宗報で告知された「己を捨てて無碍(むげ)の大道に帰す」などの3か条が墨書されている。解説付きで額装されており、戦前から本堂の壁に掛けられてきたらしい。
同派名古屋教区教化センターでは毎年、戦争に協力した同派の歴史を示す資料を集めて展示し、反省と平和への誓いとしている。その中で、「同朋箴規」の関連資料を探し、「箴規」宣伝歌のレコードなどが発掘されたものの、「箴規」そのものが信者の目に触れるように加工されたものは見つかっていなかった。今回、岐阜県内の関係者から寄せられた情報により額が見つかり、平和展のために借り受けた。
同センター研究員で同展担当の新野和暢さん(39)は「仏教各派とともに大谷派が皇道仏教に陥っていた時代の産物。宗祖・親鸞の言葉の本来の意味が改変されており、当時の歴史を知る貴重な史料だ」と語る。
戦後、同派は戦争協力の過去を反省し、「不戦決議」(1995年)に結実させたが、「箴規撤回の通知などは確認されていない」(御手洗隆明・同派教学研究所研究員)。このため、専了寺ではそのまま掲示してきたらしい。玉井住職は「ことさら額の話をしたり、門徒に尋ねられたりしたことはありませんが、3か条は現実の生活を大事にする真宗大谷派らしい文章だと思ってきました」と戸惑いもみせている。