社会そのほか速
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県内に住む後藤さんの叔父(71)は、1日午前に記者会見し、「日本政府や各国の方が全力で救出に取り組んでくれた。迷惑をかけたことへのおわびと懸命な救出活動への感謝を申し上げたい」と話した。
後藤さんは、父(叔父の兄)の転勤で2歳の時に仙台市から東京へ引っ越した。疎遠な時期もあったが、後藤さんが30歳代の頃から、仕事などで県内を訪れた際に、食事を共にするなどしていた。地魚やホヤなどを振る舞い、後藤さんは「東北の魚はおいしい」と話して、食べていたという。
後藤さんの活動は、本人の話などで知るだけだったが、一連の報道で高い評価を受けていると知った。叔父は「立派な活動をしていた」として、後藤さんが続けてきた難民や子供たちの支援活動について「健二の思いが今後の活動に生かされれば、健二も喜んでくれるのではないか」と話した。
また、別れ際にはいつも「命だけは大切にしないといけない」と声をかけ、後藤さんが「大丈夫。心配しないでくれ」と応じていたエピソードを紹介。今回の行動について「なぜ危険な地域に足を踏み入れたかわからない。彼らしくない行動だった」と、悔やんだ。
仙台市の団体で事務局長を務め、後藤さんを招いた講演会の企画などで交流してきた五十嵐栄子さん(61)は、「生きていると信じていたので、何も言うことができない」と、困惑した様子で話した。2003年にイラク難民への医療支援活動中に後藤さんと知り合った女川町職員の友田昌秀さん(46)は、「解放に向けた動きが報じられ、『大丈夫だろう』と安心したところだった。今でも信じられない」と、肩を落とした。
市民からも、後藤さんの死を悼む声が聞かれた。仙台市青葉区の大学生(19)は「すごい仕事をしていた人だと思うので、残念だ。外国人を悪い目で見ることにならないで欲しい」と話していた。
◇
会見の一問一答
――今の気持ちは。
現実として受け止めざるを得ない。必ず帰ってくるという期待を持つ一方で、心の中には覚悟もあった。
――1日に公開された映像での後藤さんの様子は。
過酷な環境だったと思う。奥さんと幼い娘2人のことを思いながら、座っていたのかなと感じた。本当に無念だっただろう。
――後藤さんの活動をどう感じるか。
取材活動を通じて、恵まれない環境の人への思いを発信してきた。立派な活動をしていた。誤解されるかもしれないが、叔父として誇りに思う。
――「イスラム国」への思いは。
世界の常識が通らない非道な組織で、想像を絶する非常に恐ろしい組織だと感じる。同じような事件が繰り返されないように祈りたい。
――後藤さんの行動について感じることは。
「責任は自分にある」と言っても、政府や皆さんに多大な心配をかけて、「自己責任だからいいんだ」では済まない。このような結末を迎えたことは無念だが、行動にもう少し慎重であって欲しかった。