社会そのほか速
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太平洋戦争末期に日米が激戦を繰り広げた硫黄島(東京都小笠原村)で21日、民間団体主催の合同慰霊式が開かれた。両国の遺族や退役軍人、政府関係者ら約550人が出席し、約2万9000人に上る戦没者を悼んだ。日本側からは閣僚として初めて、塩崎恭久厚生労働相と中谷元防衛相が出席した。
日本側の遺族らでつくる「硫黄島協会」の寺本鉄朗会長は「悲惨な争いを再び繰り返さぬよう、後世に語り継ぐ責任と義務がある。今日の平和と繁栄は、尊い犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立つことを忘れてはならない」と追悼の言葉を述べた。
戦闘に参加したラリー・スノードン元米海兵隊中将は「憎しみは友情に変わり、戦争は理解と友情に置き換えられた」とあいさつした。献花と鎮魂歌の演奏が行われ、全員で黙とうをささげた。
出席者は式典後、日本軍が全長18キロにわたって張り巡らせた地下壕や、激戦地となった摺鉢山などを視察。塩崎厚労相は「いかに戦いが激しく、命を落とした人が多かったかを改めて感じた」と述べ、遺骨収集を急ぐ考えを示した。