社会そのほか速
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大阪弁護士会の有志73人が21日、橋下徹市長(大阪維新の会代表)に対し、「大阪都構想」の住民説明会で中立・公正な説明をするよう求める要請書を送付した。「『僕の考え』という表現を多用し、橋下市長の問題意識の説明に多くの時間を費やしている。話の内容は維新が賛成の立場で喧伝(けんでん)してきたものと同じ」と指摘し、「賛成するよう誘導する場となっている」と抗議する内容。
橋下市長は住民説明会で「一方的な説明にならないように、反対派の議員に参加を要請したが、参加してもらえなかった」と説明している。
第18回統一地方選後半戦は21日、122町村長選と373町村議選が告示された。町村長選には199人が立候補。このうち、11回連続で無投票になった北海道初山別村など、53人が無投票当選を決めた。
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初山別村長選は1975年以来、道内過去最多の11回連続無投票。3選を果たした無所属現職の宮本憲幸氏(57)の後援会幹部は「小さな村なので、隣同士がいがみ合う選挙は繰り返したくない思いはある」と複雑な思いを語る。
道北部の日本海に面した村の人口は、59年のピーク時の4分の1に満たない約1300人で、農林漁業が主たる産業だ。
最後の選挙戦となった44年前の村長選では、農協幹部と元町教育長の新人2人が激しい戦いを繰り広げ、村が二分されて選挙違反による逮捕者も10人出た。当時を知る村の関係者によると、一時住みにくくなって村を離れた人もいたといい、村民には「村が二分されたらしこりが残る」と、えん戦気分がいまだに漂っているという。
宮本氏は11回目となった村長選の無投票について「その意味を深く考え、少しでも住民の声を拾い上げる努力をする。地域に出向き、住民と対話をする機会を多くしたい」と語った。宮本氏の後援会長で元村議会議長の高沢国雄さん(76)は「優れた村長に恵まれた面もある。選挙戦になった方がいいとの声はあるだろうが、村民が選んだ候補を村民が無投票当選させるのも、地域の選択ではないか」と話す。
また音威子府(おといねっぷ)村長選も無所属現職の佐近勝氏(60)が無投票で再選され、同村長選は5回連続の無投票となった。【横田信行】
天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が21日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、赤崎勇・名城大教授(86)ら昨年のノーベル物理学賞受賞者3人を含む各界で功績があった約1800人が出席した。
赤崎教授は車いすで出席。以前、皇居に招待されたことにお礼を述べると、天皇陛下は「お大事に」と優しく声をかけられた。
また、昨年12月の小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げを担当した国中均さん(54)が、通信が途絶えながらも地球に帰還した「はやぶさ」のプロジェクトにも関わったことを説明すると、「ずいぶん心配されたでしょうね」と話された。
このほか、東日本大震災で被災し、昨年4月に全線で運行を再開した三陸鉄道(岩手県)の望月正彦社長(63)には、「地域の人も喜んでいるでしょうね」とねぎらわれた。同社は震災当時、運転士らが乗客や地域住民を避難させた。皇后さまは「あのときは大勢の人を誘導してくださって、ありがとうございました」と述べられた。
両陛下は予定時間を約20分超えて約1時間10分にわたり招待客と親しく歓談された。
JR福知山線脱線事故から10年たつのを前に、シンポジウムに参加した負傷者と支援者ら=19日午後、兵庫県川西市
兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故から25日で10年を迎えるのを前に、負傷者や支援団体でつくる「思いをつなぐ連絡会」が19日、同県川西市内でシンポジウム「JR福知山線脱線事故~わたしたちの10年、そしてこれから」を開いた。負傷者や支援者らが意見交換。「苦しんでいる人の励みになれば」などと訴えた。
パネリストとして登壇した同県伊丹市在住の玉置富美子さん(65)は3両目で負傷。事故で車外に投げ出され、右顔面神経を切断、両足のかかとを深くえぐる重傷を負った。病院に搬送された際に足からストッキングを取り外したときの痛みは忘れられないという。その後も足の痛みに悩まされ、カートやつえ無しでは歩けない状態が続き、顔面の手術も20回を超えた。
玉置さんは現在、奈良市の病院に入院する。今年1月にかかとの手術を受け、カートなしで1万歩程度歩けるほどに回復した。「事故から10年がたって、医師らとの不思議な縁が自分を救ってくれたと実感する。今歩けるようになったことが他の苦しんでいる人々の励みになってくれれば」と話した。
シンポジウムを企画した負傷者の小椋聡さん(45)も登壇。開催の趣旨について「災害や事故で苦難の渦中にある人たちが、私たちと経験を共有することで、さらに10年後には笑えると思えるようになってほしい」と説明した。
約100人が来場。ノンフィクション作家の柳田邦男氏も招かれ、「事故や災害に遭ったときにどう生きるかを考える上で、この事故の被害者のひたむきに生き方を求める姿勢が多くを教えてくれる」と話した。
統一地方選の市長選挙(4月26日投開票)を控えた神奈川県茅ヶ崎市で『木村竹彦副市長のサーフィン溺死事件』の真相を解明しようという動きが出ている。事件をざっと振り返ろう。
同市とハワイ・ホノルル市との間で姉妹都市協定締結式が行われたのが、昨年10月24日。調印式や祝賀パーティーなどの“公務”を終えたはずの木村副市長が、翌25日の朝8時20分に搬送先の病院で「溺死」(市は公務中の事故と処理)と確認され、市長の説明が二転三転したため、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。県政関係者が疑問点を整理する。
(1)副市長はサーフィン未経験者、しかも心臓に持病を抱えた上(市関係者の証言)、前夜に深酒している。
(2)総領事館から「締結を祝してサーフィンを行わないか」との提案があったというが、ホノルル市側は参加しておらず、しかもライフセーバーもいない早朝6時半から服部信明市長を含む市職員ら6人のみで行うという違和感に加え、市長、副市長、総領事館の重枝豊英総領事以外の3人の氏名は未公表。
(3)副市長の女性秘書役が騒動になった昨年12月から長期休暇を取っている(市は「現在も復職していない」と小誌に回答)。
「真実は市長と職務上死因を確認しなければならない総領事の2人しか知らない。ひょっとして秘書役も知っているから、いまだ休んでいるのではと勘繰りたくなります」(市庁舎内関係者)
別の市関係者は、公務にしなければならない事情があったのではと言う。
「遺体を運ぶには莫大なカネが掛かる。だから公務=保険適用にせざるを得なかったのかもしれません」
こうなると保険金詐取の疑いも出てくるが、そんな折、締結終了にもかかわらず、最重要ともいえる3月議会をほったらかして3月6日から10日まで服部市長はハワイに飛んだ。これが市関係者の間で憶測を呼ぶことになった。
現地の重枝豊英総領事は湘南地域の出身。議会を休んでまで、服部市長は何を話し合いに行ったのか。
市長は「締結の事後処理」と返答したのだが…。