社会そのほか速
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5日午前7時40分ごろ、大阪府東大阪市本庄中の市道交差点で、乗用車同士が出合い頭に衝突し、歩行者2人が巻き込まれた。府警河内署などによると、3人が病院に搬送されたが、歩行者の30代と40代ぐらいの男性2人が死亡し、運転手の30代ぐらいの男性が意識不明の重体という。
同署は、一方の車を運転していた会社員の生野誠容疑者(49)=同府吹田市新芦屋上=を自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)容疑で現行犯逮捕した。容疑を認めているという。致死傷容疑に切り替え、詳しい事故原因を調べる。
同署によると、生野容疑者の車は西から東に直進して交差点に進入し、中央付近で右折待ちしていた車に衝突。さらに横断歩道を渡っていたとみられる2人をはねたという。

業務上横領の疑いで逮捕されたのは、銀座にある財団法人「日米地域間交流推進協会」の前事務局長・佐藤城容疑者(37)ら2人で、2011年8月、財団の有価証券全てを無断で売却し、1億4000万円を着服した疑いがもたれています。佐藤容疑者は財団の資産管理を担当していて、2012年6月に退任していますが、後任の担当に引き継ぎがなかったため、不審に思った財団が調査したところ、発覚したということです。
佐藤容疑者らは容疑を否認していますが、警視庁は着服した金の大半が、佐藤容疑者が代表をつとめる会社の運転資金に充てられたとみて調べを進めています。(05日04:34)

◇仕事に追われ 子どもの異変、把握できず
「学校に行くより前に出勤しなければならず、遅い時間に帰宅するので、日中、何をしているのか十分に把握することができませんでした」。川崎市川崎区の河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)が刺殺体で見つかった事件。女手一つで上村さんを育ててきた母親が2日に発表したコメントからは、仕事に追われ、子供との時間を持つ余裕のないひとり親家庭の苦悩が浮かぶ。【斎川瞳】
「毎朝、子供を保育園に送り、夕方には小さい下の子2人の手を引いてスーパーで買い物をしていた」。上村さんの自宅アパート近くの住民は、介護関係の仕事と育児に奔走する母親の姿を度々見かけた。
上村さんは5人きょうだいの2番目。島根県・隠岐(おき)諸島にある西ノ島(西ノ島町)の小学3年進級時に両親が離婚。以降は母親ときょうだいと一緒に暮らし、小6の夏に川崎の母親の実家近くに越してきていた。
「仕事が忙しかった私に代わって、進んで下の兄弟たちの面倒を見てくれました」。コメントからは母親を気遣う上村さんの優しさがうかがえるが、「学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした」との文面には、後悔がにじむ。
厚生労働省の調査(2012年)によると、経済的に普通の暮らしが困難な人の割合を示す「相対的貧困率」は16・1%。ひとり親家庭に限ると、その割合は54.6%にまで上昇する。ひとり親世帯を対象に行った別の調査(11年)では、母子家庭の母親の帰宅は午後6〜8時が39.8%と最多で、8時以降も11%。子供の非行や交友関係に悩みを持つ割合は、上村さんと同世代の10〜14歳の子供を持つ母親の場合は5.6%で、全体(3.6%)に比べて高かった。
「周囲の助けなしには育てられない」。東京都練馬区で中1、小4、1歳のきょうだいをひとりで育てる母親(35)も、朝9時から夕方6時まで働き詰めだ。買い物をして夕飯を作り、下の子を寝かしつけると夜9時を回る。長男は中学生になり、交友関係も広がった。会話を持つようにしているが、「何を考えているか分からなくなるときもある」。
支えになるのは「ママ友」だ。「あそこで見かけたよ」「学校でこんなことがあったらしいよ」。把握しきれない学校での出来事や子供の異変をメールなどで教えてくれる。「理想は『地域で育てる』でも、知らない子や親に声をかけるのは難しい。…

今冬2シーズン目を迎え、3月1日に閉幕した大阪城(大阪市)の「3Dマッピング」の来場者数が計34万6千人と、目標とした最大80万人を大きく下回ったことが5日、イベントを共催した大阪観光局への取材で分かった。昨冬の大盛況を受けて「今回も」と意気込んだが失敗、今後に向けて課題を残した。
3Dマッピングは建物などをスクリーンにして立体映像を映す技術。大阪城では昨冬の来場者が59万人と想定(50万人)を上回ったため、今冬はさらなる集客を目指して内容も一新、昨年12月13日にスタートしたが「残念な結果」(観光局担当者)に終わった。

第二次世界大戦末期のレイテ沖海戦で、米軍の猛攻を受けて撃沈した旧日本海軍の「戦艦武蔵」(全長263メートル、排水量6万5千トン)とみられる動画が3月4日、米国のマイクロソフトの共同創業者・ポール・アレン氏のホームページで公開された。
1944年10月、フィリピンのレイテ島に上陸した米軍を攻撃するため、第二艦隊の主力艦として、武蔵は停泊していたブルネイを出撃した。
当時、劣勢に立たされていた日本軍は、十分な航空戦力が残っていなかったため、戦艦や巡洋艦を中心とする残存艦艇で、レイテ湾に停泊する艦隊に殴り込みをかけ、米軍の上陸部隊を殲滅する作戦を立案した。
武蔵を巡ってはこんな逸話も残っている。
武蔵が米軍機の攻撃を一手に引き受ける「被害担当艦」として、他の艦船への被害を抑えるため、艦長の猪口敏平少将は、出撃前にその船体をあえて目立たせるために「薄いグレー」に塗装させたとも言われている。これは「武蔵の死に装束」と呼ばれている。
武蔵は味方の航空機の護衛もなく、丸裸同然で6次にわたる米軍機の空襲を受けた。その結果、多数の爆弾と魚雷を受けて大破し、浸水してしまう。
その戦闘は非常に激しいものだった。「軍艦武蔵戦闘詳報」によると、武蔵は、主砲54発、副砲203発、高角砲1317発、機銃約12万5000発を撃っている。だが、奮闘もむなしく、浸水が激しくなるとともに艦首から海の底に消えていった。
当時の記録などによると、沈没地点は「シブヤン海、北緯13度07分、東経122度48分、水深約800メートル」とされているが、しかし、はっきりとした沈没地点は長らく不明とされていた。
ポール・アレン氏が公開した動画をみると、艦首には日本海軍の軍艦にとりつけられていた「菊の御紋章」がみられる。このほか、「主弁取手」、「開」とはっきり読み取れるバルブや、当時世界最大を誇った46センチ砲の台座、偵察機を発進させるカタパルトらしきものなども鮮明に映し出されている。
特に、興味深いのは艦首の近くにある主碇だ。右舷には15トンの錨が原型をとどめているが、左舷には錨がない。当時の戦闘記録では、艦首の沈降を防ぐため、戦闘中に左舷の主錨は海中に放棄されたとされている。この点に注目して、発見された沈没船が武蔵である証拠だと指摘する専門家もいる。
戦後70年の節目に、長らく謎とされてきた戦艦武蔵、そしてともに眠る多くの英霊は、現在の日本人に何を問いかけているのだろうか。
(dot.編集部・金子哲士)