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「人間魚雷・回天」より物騒な名前の兵器はないよね

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「人間魚雷・回天」より物騒な名前の兵器はないよね

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「人間魚雷・回天」より物騒な名前の兵器はないよね

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桜の下で当時を振り返る中村さん(左)と清積さん

旧日本軍の特攻兵器、人間魚雷「回天」を搭載した「伊号第58潜水艦」の元乗組員や遺族らが
28日、基地のあった山口県周南市の大津島を訪れ、慰霊祭を開いた。
慰霊祭を始めた当初15人ほど参列していた元乗組員は戦後70年を迎え、
京都市伏見区の中村松弥さん(89)と
愛媛県松前(まさき)町の清積勲四郎(きよづみ・くんしろう)さん(86)の2人だけに。
「回天の搭乗員たちのおかげで生かされてる。70年過ぎた今も平和であることを報告したい」
と手を合わせた。

中村さんは19歳で志願して海兵団に入った。
16歳の清積さんも中村さんと同じ伊58に配属された。
回天を前線のグアムやフィリピン沖まで運ぶのが任務。
終戦間近の45年7月、伊58は回天6基を乗せて出港した。
中村さんは、艦長に代わって、回天に乗り込んだ搭乗員へ電話で指示を伝えていた。

「最後に言うことはないか」。
発進直前の搭乗員に艦長は必ず聞いた。
「長い間お世話になりました」。
そう答える搭乗員の表情は分からなかった。
中村さんは「気持ちまでしっかり伝えたい」と、大声で艦長に返した。
この時、18~23歳の搭乗員5人が出撃し帰らなかった。

中村さんは戦後、搭乗員の「最後の言葉」を思い出すようになった。
「家族にも言いたかったやろうに」。
55年ごろから、仕事が休める正月に大津島を1人で訪れるようになった。
清積さんとは88年に再会。
参列する元乗組員は年々減り、元乗組員は清積さんと2人になった。
花が開き始めた桜の木の下で、清積さんと一緒に回天碑に祈りをささげた。
http://mainichi.jp/select/news/20150329k0000m040158000c.html

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