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2015/3/31 6:30
北陸新幹線開業でにぎわわう富山市の小竹貝塚は、縄文時代前期(約6000年前)の日本海側では最大級の貝塚で、新幹線建設に伴う発掘調査により計約13トンもの遺物が出土した。
人骨は少なくとも91体で、それまで国内で発見された同時期の総数80体を上回った。国内最古級のヒスイの加工品など多様な装飾品も発見。広域交流を示す極めて貴重な貝で作った腕輪も見つかった。
http://mw.nikkei.com/content/pic/20150331/96958A9F889DEAE6E5EAE6E0E4E2E0E6E2E1E0E2E3E7E2E2E2E2E2E2-DSXMZO8478702024032015000000-PB1-17.jpg
市中心部から北西へ4キロ余りの小竹貝塚は東西約270メートル、南北約280メートル。貝塚が形成された縄文前期、周辺は汽水湖に面し岬状に飛び出した低丘陵の先端部分だったようだ。貝の大半はヤマトシジミである。
戦後に井戸を掘った時、貝塚があることは地元では知られていたが、数度にわたる調査を経て、北陸新幹線の建設工事に伴って行われた発掘調査で大量の遺物が出土した。
遺物の中でとりわけ注目を集めたのは埋葬人骨だ。「人骨を掘り出したらその下にも人骨があり、さらにその下にも骨がみえるという具合で、どう掘り進めていけばよいか途方に暮れる思いだった」と富山県埋蔵文化財調査事務所の町田賢一主任は話す。
状態の良い骨が大量に保存された理由は地理的な要因に尽きるという。標高は約3.2メートル。地表から約2メートルが粘土層で、海抜マイナス55センチまで約170センチにわたり貝層が続く。
国内で多い酸性土壌の場合と異なり、貝殻のカルシウム分で有機物の分解が進むのを防ぎ、低湿地のため微生物などの活動が不活発なためだ。
縄文前期に今の富山県中央部に生きた人々はどこから来て、どんな特徴をもっていたのか。DNA分析が可能だった13体について、母から子に伝わるミトコンドリアDNAの解析が行われた。
その結果、現代の沿海州先住民や北海道の縄文人に多く見られる北方系タイプが最も多く、次いで東南アジア起源の南方系タイプ。
このほかも旧石器時代にバイカル湖周辺で発生したと見られるタイプや、東南アジアから中国南部に多いタイプだった。中国東北部や朝鮮半島に多く、現代日本人の3人に1人が属するタイプはいなかった。
http://mw.nikkei.com/content/pic/20150331/96958A9F889DEAE6E5EAE6E0E4E2E0E6E2E1E0E2E3E7E2E2E2E2E2E2-DSXMZO8478606024032015000000-PB1-35.jpg
以下ソース
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84784260U5A320C1000000/
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