社会そのほか速
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絶滅が危ぶまれている国の天然記念物「ツシマヤマネコ」の姿を、長崎県対馬市北部で共同通信のカメラがとらえた。警戒心が強く、普段は住民もほとんど目にすることがないという。専門家は「生態をとらえた貴重な一枚」と評価した。
撮影は14日午後8時半ごろ、真っ暗闇の水田で成獣とみられるツシマヤマネコは、翼を休めているカモの群れを狙っていた。あぜ道の草むらから頭を出し、目を見開いた。驚かさないようゆっくりカメラを構えてシャッターを切ったが、すぐに走り去った。
6日間の取材で確認できたのは最終日のこの瞬間だけ。わずか2分間だった。
4月18日(土)、吉本興業株式会社東京本部にて『吉本新喜劇&バラエティ 横浜公演』に出演する石田靖、山田花子、あべこうじが制作発表会見に応じました。
5月5日(火・祝)、6日(水・祝)の2日間、横浜で初めての新喜劇開催が決定。「今までやったことのない場所ですが、ぜひ遊びに来てください。ほら、花子も」と石田から振られた花子はしどろもどろになりながら「じぇひ!」と開口一番、噛みます。
また、アンパンマンミュージアムを”アンパンマンミュージマル”と噛んで笑いを誘い、「よく子どもを連れて行くんです。ぜひ帰りに寄っていただきたい」と発言した花子。石田に「帰りに寄ってほしいのはアンパンマンミュージアムと新喜劇、どっちや!」とツッコまれます。
横浜出身のあべは「海も近いし、隠れた名店も多い。港も綺麗になっているので、歴史を今を感じてもらいたい」とアピール。花子がご主人との初デートで赤レンガを訪れたことをぽろりと告げると、「そういう話、バンバン言えや!」と焚き付ける石田。「なんで行ったん?」(石田)「ドライブで」(花子)「運転したのは?」(石田)「私が……」(花子)「お前かい!」(石田)など、軽快な会話を繰り広げます。また、コンラッド・ホテルを”コンダット”と言い間違えた花子を、「結婚して子どもができて、幸せすぎて舞台でボケんようになったから、喋れなくなってきてるやん!」と嘆く石田でした。
今作は山下公園を舞台に、花子演じる宝石デザイナーの恋を描く予定。「正直、まだ何も考えていません! けれど、クラブでやるので踊ったり、アップダウンにストリートミュージシャンみたいな役で出てもらって演奏してもらおうかなと思っています」と石田。「ある意味、花子のリハビリ公演です!」とも宣言しました。
その後、報道陣から「横浜にちなんだギャグとかどうですか?」と振られた面々。「それはやっぱり花子さんに。みなとみらいとか、色々とありますけど」と提案するあべに、「崎陽軒のシューマイとかもあるよね」と返した花子。「一発、何か!」と促すも戸惑う花子に、小声でネタをレクチャーする石田。
「ハマっ子、ハマっ子……」と呟きつつ、あわあわする花子ですが、最後は「ポンっ!」と自爆。爆笑が起こる中、「追い込まれたら自爆するんですね」と笑うあべに、「NGKで何回も言ってる。最後は自爆せぇと。なのに、忘れるんですよ」と呆れる石田でした。…
イタリア・セリエAのインテルに所属するスイス代表のMFジェルダン・シャキリは、現地19日に行われるミランとの“ミラノ・ダービー”に向けて意気込んでいることを伊複数メディアが報じている。
インテルは、リーグ30節終了時点で勝ち点41の10位に沈んでいる。しかし、今週末の試合は同じ街に本拠地を置くミランとの伝統の一戦であり、今冬にバイエルンから加入したシャキリにとって初のダービーとなるため、シーズン中の結果とは関係ない白熱したゲームを期待しているようだ。
試合前の会見に臨んだシャキリは「コンディションは良い。スタジアムは満員だろう。我々にとってサポーターの存在は重要だ。ダービーに限らずね。インテリスタは特別だ。最高の雰囲気になる。ミランを倒して、サポーターを満足させたい。私はこれがすごく大事な試合だと理解している。
イタリアとドイツのサッカーは異なる。だが、順応するのに問題はなかった。ロベルト・マンチーニ監督からは違いをつくることを期期待されている。そのためにはチームメイトの助けが重要だ。
インテルは近年ベストなシーズンを送っているわけではないが、我々のゴールは過去の栄光を取り戻すことであり、チャンピオンズリーグで戦うことだ。それが本来の居るべき場所だからね」とコメントした。
インテル対ミランの一戦は、日本時間20日の午前3時45分にキックオフとなる。
初めて2桁勝利を達成したのはプロ入り5年目、01年のことだった。
「来年、期待しているからな」
プロ入り後、伸び悩む黒田を覚醒させる転機は前年の秋季キャンプで、01年からチームの指揮を執った山本浩二監督からのそんなひと言だったという。
西山氏も当時の黒田の変化を認める。
「入団当初から、こっちが気を抜くと捕れないっていうほどの速さはあったよ。でも、150キロのまっすぐを待っている打者に、スライダーやフォークを痛打されることもあった。緩急を使えていなかったからだけど、ここから黒田は違ったね。カーブを覚え、さらにシュートの習得にも取り組んだり、新しい球種をマスターしていった。あれだけのストレートがあったら、それに過信するピッチャーもいるけど、黒田は黙々と練習していたからね」
05年、チームは最下位に終わったが、黒田はキャリアハイの15勝をあげ、最多勝、さらにゴールデングラブ賞、ベストナインにも選出された。06年も13勝をあげ、さらに1.85という驚異的な防御率を記録する。
今岡氏が当時の印象を語る。
「プロに入ってワンランク、ツーランク上のレベルに到達したピッチャーだと思う。黒田の球はズドンとくる剛球で、外国人のような球質だった。本人は真ん中を目がけて投げているのかもしれないけど、打者からするとアウトコースにちょっとスライドしたり、インコースにシュートしたり。日本人は回転がきれいなキレのある球を投げるんだけど、黒田はその反対。非常にやっかいでした」
ピンチになればなるほど一番の武器である150キロを超えるまっすぐで勝負し、気迫に満ちた投球でセ・リーグの強打者たちをねじ伏せてきた。
そして日本球界を代表するエースへと成長した黒田は、07年にFA権を行使してメジャー移籍を表明。その後、ドジャース、ヤンキースで7年間もの間、主力として投げ続け、5年連続で2桁勝利をあげた。そして、今年、広島への復帰を決断したのだ。
黒田はインタビューの中で、メジャーで投げ続けられた理由を聞かれて、次のように答えている。
「ピッチングに対する発想を日本の時と切り替えられたこと。メジャーに来た時から、力でねじ伏せる投球スタイルを貫くことは難しいと思っていました」
薮田氏が語る。
「黒田の強みは柔軟性です。日本にいる時はまっすぐでどんどん押していくパワーピッチャーのイメージだったが、メジャーに行ってからはツーシームを覚えるなど、投球スタイルが大きく変わりましたよね。…
阪神の能見は直球、変化球がさえ7回1失点で今季初勝利を挙げた。ゴメスが一回に先制打、1―1の六回に勝ち越し適時打を放った。巨人は連勝が5でストップ。田口は六回途中まで2失点でプロ初黒星を喫した。