社会そのほか速
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比嘉愛未の民放初主演ドラマとなる『恋愛時代』(4月2日スタート、毎週木曜 23:59~読売テレビ・日本テレビ系)がこのほど、クランクインし、撮影の合間を縫って比嘉と共演の満島真之介が報道陣の取材に応じた。故・野沢尚の原作をドラマ化した同作は、離婚という道を選んだものの一緒に結婚記念日を祝うなど、どこかお互いが気になる微妙な関係を続ける2人の葛藤を描いた異色のラブストーリー。恋愛ドラマ初出演という2人は「恋愛ものに向いていない(笑)」と謙そんしながらも、ぴったりの息で作品の見どころを語った。
取材に応じた比嘉愛未(左)と満島真之介(右)
この日は結婚式のシーンを撮影。元妻の衛藤はる(28)を演じる比嘉のウエディングドレス姿に、元夫の早勢理一郎(30)を演じる満島は「こんな目の前でウエディングドレスを見たことはまだ僕もないので、本当に緊張しました。手に汗かきまくったし。自分、やっぱり恋愛ものには向いてないんだなと思いました(笑)」と苦笑い。一方の比嘉も「私も不向きですね(笑)」と言いながら「どう演じられるのか楽しみでもあり大変でもありますけど、この作品はきっと自分を変えるための大きなチャレンジになると思います」と決意を語った。
同じ沖縄の隣町出身という2人は、撮影初日にもかかわらず、まるで本当に夫婦関係の時期があったかのように息がぴったり。「お互いに役の上でも『なんでだろう?』っていうくらい言い合えるんです」という満島に、比嘉は「恋愛もの初めて同士で、いきなりハードル高いんですけど、(同じ出身という)その距離感のおかげでグッと縮まったので、あとはお互いに信頼し合って、ね」と呼びかけ、難しい心情が求められる異色の作品も乗り切っていくチームワークを見せた。
役の上での不思議な関係性について、比嘉は「この2人は本当にお互いを“嫌い”ではないんですよね。お互いに自分の一部のような感じだと思う」とした上で、“運命の2人”ではないかと分析。満島はそれに「クサいね(笑)」と突っ込みながら、「2人の中に“かけがえのないもの”ができ上がりつつあったのに、それがいきなり消滅してしまった。その心の空洞は相当大きいと思うんです」と、その心情に理解を示した。
まだドラマの結末を知らないという2人。ある意味リアルに悩み葛藤していく姿を演じていくことになるが、比嘉はそんな姿を「皆さんに『応援したくなる!』と思っていただければ嬉しいです」とアピール。満島は「このドラマは男の人たちが『理一郎、わかるよ!』『もうちょっとがんばれ!』という風に、共感できる作品だと思います」と見どころを語った。
![[TBS]朝4時から新情報番組 ターゲットは“朝活”者 [TBS]朝4時から新情報番組 ターゲットは“朝活”者](http://news.mynavi.jp/news/2015/03/10/216/images/001.jpg)
朝4時から新しい情報番組を始めるTBS
TBSは10日、東京・赤坂の同局で4月の改編説明会を開き、月~金曜の朝4時から新情報番組「はやドキ!」を30日から放送することを発表した。伊佐野英樹編成部長は「残業禁止の企業が増えて朝活動する人が多いという状況をみて放送を決めた」と話している。
「はやドキ!」は、ニュース、天気予報、スポーツ、エンターテインメント情報などあらゆる情報を朝一番に放送する生情報番組。日替わりでスポーツ各紙の芸能デスクや記者が生出演し、スクープ記事を解説し裏情報も紹介する。MCは同局の高野貴裕アナウンサーのほか、林みなほアナ、小林由未子アナ、笹川友里アナ、皆川玲奈アナらが日替わりで2人ずつ出演する予定。
伊佐野部長は「イメージとしては朝の番組は仕事をしていない70代や80代の方が見ているのかと思ったら、リサーチの結果、30代、40代の方もまずニュースを見るという結果が出た。朝一のニュースのまとめとか映画とか舞台、芸能情報などを満載にしていきたい」と説明した。
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[10日 ロイター] – 米大統領経済諮問委員会(CEA)のファーマン委員長は、ドル高は米経済に対する向かい風になるとの見解を示した。ブルームバーグが10日、ツイッターを通して報じた。
この日の外国為替市場で、ドルは対ユーロEUR=で12年ぶりの高値を更新。ファーマン委員長の発言が伝わってから、ドル相場は若干戻した。
同委員長は10日、全米企業エコノミスト協会(NABE)で講演を行う予定。
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![[旭化成]2015年キャンペーンモデルは三重県出身の山下永夏さん [旭化成]2015年キャンペーンモデルは三重県出身の山下永夏さん](http://news.mynavi.jp/news/2015/03/10/143/images/001.jpg)
旭化成グループの2015年キャンペーンモデルに起用された山下永夏さん
旭化成グループの2015年のキャンペーンモデルに、三重県出身でモデルの山下永夏(やました・はるか)さん(20)が起用され、10日に東京都内で開催された発表会でお披露目された。山下さんは黒のワンピース姿で登場し、「信じられないぐらい驚きましたし、大変うれしかったです。今は責任の重さを感じており、歴代のみなさんに恥じないように一生懸命頑張りますのでよろしくお願いいたします」とよろこびと意気込みを語った。
山下さんは身長165センチ、バスト80センチ、ウエスト58センチ、ヒップ83センチ。趣味はお菓子作りとマンガで、特技はバドミントン。チャームポイントはくちびるという。
旭化成グループのキャンペーンモデルは今回で40代目。過去に、松嶋菜々子さんや、片瀬那奈さん、宮地真緒さんらを輩出している。
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政治的な話をするつもりはない。このコーナーがそれを要求しているとは思えないし、なにより高説を宣う資格もなければ資質もない。ただ男と女の関係を考える上でも、恋愛を真剣に論じる上でも、少しばかり考えてみたいのだ。
今は普通選挙制度の時代である。普通選挙とは一定の年齢に達すれば、誰もが平等に投票にも行けるし、選挙に立候補もできる、という制度である。女性に選挙権が与えられたのは、この国の長い歴史の中ではついこの間のことである。男にしても一定の税金を納めた者にしかこの権利を与えられない時代もあった。いやそもそも、この権利そのものがごくごく最近、勝ち取り、与えられたものだ。ところがどうだ……。現代人は、この権利をどれだけ粗末にしているだろうか。
言っておくが、昔が良かった、昔に戻せ、と言っているのではない。そもそもそんなことを言える資格はないし。でも普通の状態が普通じゃないのだから、この辺で制限を設けるべきではないのかしらん? たとえば3回連続で棄権したら、1回は休み、つまり選挙権を与えないとか……。
ネット社会ではこんなことをいうと、すぐに槍玉にあげられそうだ。でもね、そもそもボクの文章にケチをつけること自体が恥ずかしいことだから。だいたいボクにそんな発言をさせること自体が、この国の困った現状なのであって……。すいませんけど、その辺、よろしくお願いしますよ! 本当に!
まあ、それはともかくとして、自由とは不自由があって初めて生まれる概念である。と同時に、不自由とその経験があるからこそ自由がありがたいのであって、そこから快適とか便利とかが生まれるのだろう。
だが、快楽ということになると、果たしてどうだろうか? 快楽とは克服すべき困難とか、ときに不条理な苦難とか、それを乗り越えて得られるものであるような気がする。快適でも便利でもないが、ときに克服できなかった困難や不条理な苦悩そのものが快楽となったりするものだから、そこがまた不思議であり、人生の面白いところでもある。
それほど難しい話ではない。あらゆるルールとは、不自由なものである。不自由は制限、と言い換えてもいい。打者は3球ストライクを取られたら三振なのである。どこの国の王だろうが独裁者だろうが、これを4球にすることはできない。サッカーにしても、時間も決められていれば、出場できる人数も決まっている。そうした制限……不自由の中で、技を競い、相手と戦い、だからこそより高いパフォーマンスが発揮でき、ときに勝利の美酒に酔いしれることが許されるのだ。酔いしれる……すなわち快楽である。
「わたしはM」、「オレはS」、ときに「わたしってドSだからさぁ」などという最近の若者の会話を聞くと、ボクなどは思わず赤面してしまうのだが、それはともかく、そもそもSMが成り立つ(プレイのみならず精神性においても)のは、そこに不自由があるからだろう。目隠しをされる。手足の自由を奪われる。行動が制限される。ときに言いたくない言葉や行為を強要される。
もちろんSの側には自由が与えられるとの見方もできるのだろうが、そこはMである不自由の側との相対の中に存在する自由であり、その信頼関係のないサディスティックな行為は、ただの虐待であり暴行であり、ときに殺戮までになってしまう。それもまた快楽という者もいようが、そうした独善が社会的に許容されるわけもなく、それこそ不自由を知らぬ愚かな自由という自家撞着に陥ることになる(なんのこっちゃ?)。
いずれにしても一方に不自由であるからこその自由であり、不自由の枠内での自由だからこそ快楽を超えた悦楽が手に入れられる! のではないだろうか。そう言い切れないところがボクの弱いところでもあるのだが、この点もサラリと読み飛ばし、あんまり突っ込まないように。ネット社会もまた、こんな三文ライターには突っ込まない、という制限、ルール、すなわち不自由を設定して欲しいものだ。突っ込みたいけど突っ込めない! この歯間になにかはさまって、しかも取れそうで取れない嫌悪というか焦燥というか不快は、いつしか快感に変わる! かもしれないぞ。
まあ、そんなことはどうでもいい。人を快楽に導くスパイスは、一面で不自由だとボクは思う。不自由の存在があってこその自由こそ、慈しみでもあり美しくもあり、だからこそありがたい恵でもあるのだ。おそらく谷崎潤一郎などは『春琴抄』でその辺の美を追求したかったのではないか、などとこの三文ライターは思うのだが、この点もまたあまり真剣に突っ込まないこと!
さてさて結論。モテないこと、カノジョがいないことは不幸ではなく、不自由である。不自由の先には自由という快楽がある。そんな風に思うだけで、少しは気が紛れ、人生も明るくなる……と思うよ。いやはや、そんなことを考えることが不憫ではあるが……。
イラスト: 田渕正敏