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日本語ワープロの“原型”は大正時代にできていた!?〈ASAhIパソコン〉

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日本語ワープロの“原型”は大正時代にできていた!?〈ASAhIパソコン〉

 日本語ワープロの“原型”は大正時代にできていた!?〈ASAhIパソコン〉

 今日、文書作成には「Microsoft word(マイクロソフトワード)」などのソフトウエアを使うのが一般だが、それ以前はワープロ専用機の時代があった。さらに遡ってみると…?
 
  欧米では、19世紀の終わり頃から早くもタイプライターが普及して、文書を手書きするようなことは少なかったという。だがそれは、26文字というアルファベットだから成り立つ、欧文だからこそできたことである。
  
  それに対して、よく使われる漢字だけに限っても3000文字ほどに及ぶといわれる和文の場合は、事情が全く異なる。和文タイプライターを作るのは至難の業で、日本人はワープロが登場する1980年代まで、手書きが一般的だった。
 
  ところが和文タイプライターは、実はかなり早くからあった。明治期には、舶来のタイプライターを参考に和文タイプライターの開発がすでに試みられたようだ。しかし、文字数の多さから開発は難航する。
 
  こうしたなか、和文タイプライターの研究を始めたのが杉本京太である。1882 (明治15)年、岡山県に生まれた杉本は、通信技術者を志し、大阪市電信技術者養成所を修了すると活版技術関係の仕事に従事する。その後、この研究に着手した。
 
  彼は、京都出身の実業家・大谷仁兵衛に資金を援助してもらう。大谷は「帝国地方行政学会(現・ぎょうせい)」の経営者でもあり、1920(大正9)年には「内外出版(のちの内外出版印刷)」を創立するなどした出版人である。それゆえ、杉本の志には理解も深かったのだろう。
 
  杉本は、公式文書に使われた文字の使用頻度など、漢字の性質を精査した。その結果、2400文字を選び出し、平面上の活字庫に分類整理された独特の配列によって並べる。さらに、前後左右に動く一本のタイプバーが任意の活字をつまみ上げ、円筒形の紙保持具をたたいて印字するというしくみを編み出した。
 
  1914(大正3)年、ついに待望の和文タイプライター試作機が完成する。翌年には特許を取得し、1916(大正5)年、大谷が設立した「日本書字機商会(現キヤノンセミコンダクターエクィップメント株式会社)」で実用機を発売し、大いに売れたという。
 
  さらに事業拡張のため、大谷が1917(大正6)年に設立した「日本タイプライター株式会社」は、戦前・戦後を通じて和文タイプライターの代表的企業として発展していく。
 
  この機械に採用された杉本の独創的な方式は、それ以来、根本的に変わることなく踏襲された。…

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