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トクマルシューゴの音楽を、劇場で一緒に合奏することができる。そんな音楽劇が実現しそうだ。いしいしんじの原作をもとにした『つながる音楽劇「麦ふみクーツェ」~everything is symphony!!~』のテーマは、脚本・演出を手掛けたウォーリー木下いわく、ずばり「合奏」なのだという。とある港町を舞台とした物語の中で、「ねこ」と呼ばれる青年をはじめとした登場人物は、お互いに音を合わせながらストーリーを展開させていく。いや、音を鳴らすのは演者だけでない。この音楽劇では、来場者に向けてこんなメッセージも投げられているのだ。「観客はそれぞれ、1人が1個ずつ、何か音の発するものを持参すること」。そう、この舞台で行われる「合奏」とは、その会場内にいるすべての人間が参加するものなのだ。
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音楽劇『麦ふみクーツェ』には「この世におよそ打楽器でないものはない」というサブタイトルも添えられている。つまりはこういうことだろう。我々の生きる日常には、いつだって音楽が溢れている。では、ウォーリー木下と音楽監督であるトクマルシューゴはそれを舞台上でどのように表現しようとしているのか。そして、そこで鳴らそうとしている音楽とは、一体どういうものなのか。稽古に入ったばかりの二人に話を聞いた。
■原作を読んだときは、本当にすごいと思いました。たくさんのキャラクターによる細かいエピソードがいくつも連なって、最終的にものすごい世界に集約されていく。(トクマルシューゴ)
―『麦ふみクーツェ』の原作との出会いからお聞きしてもいいですか。
ウォーリー:もう10年くらい前かな。劇団員に「これ、面白いですよ」と薦められて読んだらすっかり夢中になってしまって。けっこう分厚い本なんですけど、1日くらいで一気に読み終えちゃったんです。作品の内容もいいんですけど、文章のドライブ感というか、物語をグイグイ進めていく感じに、すっかりのめり込んでしまって。それを機にいしいしんじさんの作品は新刊が出るたびに必ず読んでいます。
―トクマルさんは今回の音楽劇をきっかけに、いしいさんの作品を知られたんですか。
トクマル:そうなんです。最近はあまり小説を読んでいなかったんですけど、この原作を読んだときは、本当にすごいと思いましたね。分厚い小説の中に、たくさんのキャラクターによる細かいエピソードがいくつも連なっていて、最終的にはそれがものすごい世界に集約されていく。こんな小説を書ける人って、一体どんな人なんだろう? と思って。それで、実際にいしいさんにお会いしたら、「なるほど、こういう人だから書けるんだ」と(笑)。
ウォーリー:僕も実際にお会いしたときに感じたんですが、なんか常に踊っているような雰囲気の方ですよね(笑)。
トクマル:いしいさんと話していると、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、わからなくなってくるんですよ(笑)。最初はわりと現実的な話をしていたはずなのに、会話が進んでいくにしたがって、「いま、どこの世界の話をしてるんですか?」みたいな感じになっていく。突っ込みどころがわからなくなるんです。
■僕が作りたいのは、お客さんが当事者になれるような作品なんです。今回の音楽劇をそうするためには、観に来てくれた人たちに合奏する喜びを体験してもらうのが一番だろうと。(ウォーリー木下)
―ウォーリーさんは、どんなきっかけでこの大作を舞台化したいと思うようになったんですか。
ウォーリー:それもまた10年ほど前の話なんですが、1週間ほどブロードウェイに遊びに行ったことがあって、小劇場で観たミュージカルにものすごく影響を受けたんです。「言葉がわからない舞台なのに、なんでこんなに面白いんだろう!?」って。そこで自分もセリフのない音楽的な演劇を作ってみたいと思って始めたのが「THE ORIGINAL TEMPO」という集団で。
―なるほど。
ウォーリー:同時期に『麦ふみクーツェ』を読んでいたら、「すべては打楽器だ」みたいな、すごくプリミティブな音楽の話があって、自分のやりたかった演劇のイメージと結びついちゃったんです。いま思えば、こういう演劇をやりたいと思っていたところで、いしいさんにポンと背中を押してもらえた感じだったんでしょうね。だから「THE ORIGINAL TEMPO」のルーツでもあるし、ずっと挑戦してみたかった作品でもあったんです。
―トクマルさんがおっしゃられたように、原作にはものすごくたくさんのキャラクターが登場して、さまざまな物語が絡んでいきます。そこで気になるのが、ウォーリーさんは『麦ふみクーツェ』のどこを要点と捉えて、舞台化に挑戦するのかということで。
ウォーリー:それが「合奏」なんです。一見バラバラでヘンテコな人たちが集まって合奏したら、何かが瞬間的につながったり、相手に手を伸ばすような行為が見られたり。僕はそういうところが『麦ふみクーツェ』の中で最も重要な部分だと考えていて。いつも思っていることですが、僕が作りたいのは、お客さんが当事者になれるような作品なんですね。今回の音楽劇をそうするためには、観に来てくれた人たちに合奏する喜びを体験してもらうのが一番だろうと。なので、お客さんにも何か音の発するものを持ってきてもらって、一緒に合奏できるような構成にしています。『麦ふみクーツェ』のキャラクターが感じていたことになるべく近い感覚をお客さんにも感じてもらいたくて。
―ウォーリーさんが理想とする演劇のあり方が、『麦ふみクーツェ』の「合奏」に見出されたわけですね。
ウォーリー:そうなんです。当初はセリフがなくても十分に伝わる自信があったので、この作品は音楽だけでもいいと思っていたんですよ。でも、最終的には自分が重要だと考える言葉を原作からピックアップすることにしました。ただ、それでも7割は音楽だけで進む作品になると思います。
■街にあふれている日常の奇跡を、舞台上で何度も起こさないといけない。かなり挑戦的なことだし、それを実際にやろうとしているウォーリーさんの心意気に、僕も刺激を受けたんです。(トクマルシューゴ)
―「最初は音楽だけでいいと思っていた」というのは、とても気になるポイントですね。その重要な音楽を任せているトクマルシューゴさんについて、お伺いしたいです。
ウォーリー:NHKテレビの『トップランナー』で初めて知って、その番組で見たライブがあまりにも衝撃的だったんですよ。さまざまな楽器を使って、遊んでいるかのようにその場で音楽を作っていて、本当にすごいなと。その音楽性とパフォーマンスを目の当たりにしてから、すっかり彼のファンになってしまって。それで今回ダメもとで打診してみたら、驚くような返事がもらえたんです。「マジか!」と(笑)。
トクマル:たしか2年くらい前でしたね。何百人というお客さんが持ち込む楽器の音まで想定して音楽劇を作らなければいけないわけで、お話を頂いたときは「さすがにこれは難しいだろう」と思ったんですけど、すごく面白い試みだから、本人に話を聞いてみたいなと。それで実際にウォーリーさんと会ってみたら、「できるかも」と感じてしまった瞬間があって。可能性を感じてしまったぶん、自分もちゃんと考えなきゃいけないなと(笑)。
―音楽を作る側の立場からすれば、今作品でやろうとしていることは、あまり前例のないことばかりですよね。
トクマル:本当にその通りで、「すごいことを考える人がいるものだな」と思いましたよ(笑)。
―ウォーリーさんはそのとき、どんな話で口説かれたんですか。
トクマル:布団を叩いている主婦の話とかされてましたよね?
ウォーリー:そうでした(笑)。散歩していたとき、集合住宅で布団をパンパン叩いている主婦がいて、なんとなく見てたんです。そうしたら、最初は1人だった布団を叩く主婦が、いつの間にか3人に増えていって、たまに布団を叩く音が合ったりして。「本人たちは気づいてないけど、これは合奏だ」と思ったんです。
―なんとなくイメージできる光景ですね(笑)。無意識でリズムが合っていたり。
ウォーリー:そのとき「舞台よりも日常のほうが面白いじゃん」「だったらその日常をヒントにした舞台を作れないか」と。トクマルさんに話したのは、たしかそういうことだったと思います。
―その発想って、トクマルさんの音楽に通じるものもありそうですね。トクマルさんも日常に音楽を感じたり、日常的な音を音楽に取り込んでいるところがあるんじゃないかなって。
トクマル:少し僕は音に対して過敏なところがあって、たとえば、打ち合わせで入ったお店でジャズが流れているのが苦手なんです。耳に入ってくる音楽を無意識に解析してしまう癖が昔からあって、ジャズは半端じゃない情報量が入ってくるので、特に打ち合わせとなると疲れてしまうんですよね(笑)。「このコードで、この音が鳴ってて、ここが外れているからこう聴こえるんだな」みたいなことをずっと考えちゃって。
ウォーリー:すごい(笑)。
トクマル:普段耳栓をしてることが多くて。たしかに「なんでも音楽に聴こえる」という感覚は持っているんです。だからこそウォーリーさんの話はすごく面白かった。ただ、それはとんでもなく難しいことでもあります。つまり、街にあふれている日常の奇跡を、舞台上で何度も起こさないといけないわけですから。そんなこと、普通は誰もやろうなんて思わないですよ(笑)。かなり挑戦的なことだし、それを実際にやろうとしているウォーリーさんの心意気に、僕も刺激を受けたんです。
■原作で「楽器が使えなくなったから、日用品を使って演奏する」というシーンがあるんですけど、それを実際に体験してみたらいいなと思って。(ウォーリー木下)
―「舞台上で何度も奇跡を起こす」。この音楽劇は、役者だけではなくお客さんも参加する以上、想定外のことが起きる可能性はいくらでもありますよね。
トクマル:そうなんです。先週末から音楽稽古が始まったばかりで、期待と不安が入り乱れています(笑)。いまは原作と同じように、街のいろんな職業の人たちが集まってバンドを始めたような状態です。このバンドの成長を間近で見られることに、すごく喜びを感じているんですけど、一方で「このバンドを完成させちゃってもいいのかな」とも思ってて。というのも、本当なら舞台上でバンドが成長していく姿を観てもらえたら、それが一番理想的じゃないですか。
―まさに『麦ふみクーツェ』の原作と同じように、最後のシーンに向かってバンドが成長していく過程を観せられたら、それが最高だと。
トクマル:そう、そのリアルなドキュメントをいまこうして見られるのは、僕に許された特権なのかもしれませんが、すごく楽しいんですよ。僕から見れば、いまの段階は原作の前半部分ですよね。
―予告映像でも、俳優のみなさんがホームセンターで日用品を買ってきて、そこから楽器を作っている様子が映されていましたよね。もうここでは『麦ふみクーツェ』の世界が始まってるんだなと。
ウォーリー:まさにあれもドキュメントですよね。原作で「楽器が使えなくなったから、日用品を使って演奏する」というシーンがあるんですけど、それを実際に体験してみたらいいなと思って。たとえばサックス担当の人には、「サックスではない何かで、サックスを作ってください」と(笑)。もちろんそこではトクマルさんがガイド役になってくれるんですけど。
トクマル:でも、そもそも僕だって、楽器を収集することは好きなんですけど、自分で楽器を作る体験は今回が初めてなんです。自作楽器の世界はものすごく奥が深いから、絶対にそこだけは手を出さないでおこうと思っていたんですけどね(笑)。
―自分がやったら間違いなくハマるだろうと。
トクマル:そうそう(笑)。それでいざやってみると、やっぱり楽しいし、普段その楽器に触れているミュージシャンでも知らないことって意外にあって。「この管楽器は、マウスピースから音が出るところまでの距離が何メートルだな」とか、そういう構造をみんなが知る機会にもなったと思う。
■僕はリスキーな方向に寄っていくこと自体は、まったく悪くないと思う。むしろ、「こういうチャレンジをみんながもっとやれたらいいのに」と思ってるくらいで。(トクマルシューゴ)
―チラシには、サイレン以外ならどんな楽器や日用品を持ってきてもらってもいい、とありますが、お客さんがどんな音を鳴らすのかも含めて、実際の会場を想像すると、やっぱりけっこうリスキーというか……。
一同:(爆笑)。
ウォーリー:たしかにアンプとか持ち込まれたらどうするんだ? というのはありますよね(笑)。
トクマル:でも、僕はこうやってリスキーな方向に寄っていくこと自体は、まったく悪くないと思う。むしろ、「こういうチャレンジをみんながもっとやれたらいいのに」と思ってるくらいで。ただ、いざ自分がやれと言われたら、「ちょっと待ってください」とはなりましたけど(笑)。
―(笑)。楽曲に関して、ウォーリーさんはトクマルさんにどのようにお願いされたんでしょうか。
ウォーリー:打ち合わせで何度も意見交換しながら固めていきました。驚いたことにトクマルさんは〆切の3日前にはすべての楽曲を送ってきてくれたんですよ。しかも実際に聴いたら、言葉で伝えていたものが、抽象的な世界として見事に音楽化されていて。それを聴いたとき、もう大丈夫だと思いましたね。それこそ、この音楽劇はまったくリスキーじゃないぞと(笑)。楽曲のクオリティー、躍動感、構成。すべてが素晴らしかった。訂正もゼロでした。
―それはすごい。
ウォーリー:あともうひとつ。今回の音楽はホーンセクションがすごく多いんですが、トクマルさんが過去に発表した楽曲で、ここまでホーンが入ってる曲って、恐らくそんなにないんですよね。しかも、今回は物語に沿った音楽だから、30シーンくらいあって、コンセプトアルバム的な流れにもなっているんです。それがもう本当にすごくて! 一ファンとして、この人はブロードウェイの音楽だってやれちゃうんじゃないか。きっと今後、そういうスコアも書いていくんだろうなぁって。
―でも、それだけの数の楽曲を、よくそんな短期間で用意できましたね。
トクマル:もちろん僕だっていろいろ逆算しましたから(笑)。でも、ぜんぜん苦にならなかったのは、ウォーリーさんが「こういうことがやりたいんだ」というイメージを、たくさん伝えてくれたからなんです。今回は何よりもそれが良かった。
―ウォーリーさんの言葉が、トクマルさんの想像力を膨らませたんですね。
トクマル:そうですね。これは過去にいろんな人と演奏してきた中で思ったことなんですけど、何か抽象的なイメージを伝えてくれる人のほうが、僕はやりやすいんですよね。逆にカッチリとした指示がたくさんあるときのほうが大変。その人の頭の中ですでに出来上がっているものと擦りあわせていく作業になってしまうから、答え合わせをしているような感じになるんですよね。それよりはその人の中にある漠然としたイメージを具現化していくほうが、作る立場としては楽しくて。そういう頭の中のもやもやをたくさん伝えてくれると、僕はすごくやりやすいんです。
■演劇の面白さって、「時間と空間を同時に操れる」ことだと思うんですよ。(ウォーリー木下)
―それで出来上がったものが、結果的にはちゃんとトクマルシューゴらしい音楽になっているというのも面白いですよね。
ウォーリー:うん。演劇の面白さって、「時間と空間を同時に操れる」ことだと思うんですよ。たとえば絵画彫刻は空間を作ることはできても、観賞する時間の長さはコントロールできない。音楽は「時間の芸術」と言われる一方、空間自体は作れないんです。でも、演劇は両方叶えてくれる。今回の音楽劇では、まずトクマルさんが素晴らしい「時間」の枠組みを作ってくれた。だから、ここからは僕が頑張っていかなければいけないところなんですよね。
―あとはウォーリーさんがどんな「空間」を作っていくかだと。
ウォーリー:そう。でも僕も今回の音楽劇を最初からそんなにリスキーだとは思っていないんですよね。本当に「トクマルさんなら、これは絶対できるに違いない」と思ってオファーしていたんです。だから、「無茶」とか言われても、正直あまりピンときてない(笑)。
トクマル:ウォーリーさんがスタッフと打ち合わせているのを横で聞いてると、何度もスタッフから「それは無理です」って声が聞こえてくるんです(笑)。でも、その無理を承知でやっていくスタイルは本当にすごいなって。
ウォーリー:ホントよく言われるんですよね。「それは無理だよ!」って(笑)。
―でも創作家としては、正しい姿勢とも言えますよね。
トクマル:僕も子どもの頃から、「想像できることのほとんどは実現可能だ」と思っているところがあるので。
ウォーリー:お会いする前までは、トクマルさんって完璧主義的なアーティストだと思っていたんです。実際、ものすごく緻密に計算して曲作りをされているんですけど、一方でそうじゃないところもあって。
―きっちりと計画を立てつつ、余白を楽しむ余裕もあると。
ウォーリー:そうそう。だから何かあったときでも、トクマルさんならちゃんと予測してくれるだろうと。
トクマル:(笑)。僕、子どもの頃にレゴブロックが大好きだったんですけど、レゴって組み立ての完成形が色々あるじゃないですか。僕はその作り方がわかったら、その時点で満足するタイプなんです。つまり、作り終えていなくても、作れるということがわかればOK。あとは自分が一生懸命組み立てたものを友だちに蹴飛ばされても構わない。
ウォーリー:へぇー……面白い! ちなみに僕は組み立てたものを壊すときに快感を得るタイプでした(笑)。砂山作りや積み木をやっているときも、それを作り終わって壊すときが僕にとってのエンディングだったんですよ。完全におかしな子みたいですけど。
―作ったら壊したい人と、作り方がわかれば壊されてもOKな人。相性ピッタリのコラボレーションじゃないですか(笑)。
トクマル:そうですね(笑)。僕はここからいくら壊されてもOKですから。これからのバンドの成長と、お客さんがどんな楽器を持ってきてくれるのか、本当に楽しみです。