社会そのほか速
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負けるということが大嫌いだった少年時代
2016年に開催されるリオデジャネイロ五輪出場を目指す、U-22日本代表に名を連ねる中島翔哉。小学5年生時にヴェルディジュニアに入団してからプロ選手になるまで順調に成長してきた、彼に少年時代を振り返ってもらうと、サッカーをうまくなるうえで少年時代から変わらないことがあるという。(『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.35より一部抜粋』)
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――中島選手は94年、八王子市生まれということですが、サッカーを始めたのは?
八王子市別所小学校に入った小1の時。それまでは遊んでいる程度だったけれど、『僕がサッカーをやりたい』と言ったら、母親が近くにあった『松が谷FC』に連れていってくれた。それがきっかけです。
――松が谷FCはどんなクラブ?
普通の町クラブで、お父さんコーチが指導していたのかな。1学年15~16人はいて練習は土日だけ。
ドリブルや、ミニゲームをしたり、みんながやるような練習だったと思います。コーチは自由にやらせてくれました。
小3~4の頃のチームは結構強くて、八王子市のフットサル大会で優勝したこともあります。
――当時はどんな選手だった?
まあ、負けず嫌いでワガママだったのかな(笑)。ボールを持ったらパスをしなかった。それでもコーチには怒られなかった。気持ちよくサッカーをしていました。
――平日は自分で練習していたんですか?
はい。学校から帰って、近くの公園でだいたい1人でドリブルしたりしていましたね。コンクリートの上で、裸足でボールを蹴ったり。
とにかくサッカーが好きで、学校の授業中もボールを足元に置いていたくらい。先生に怒られてボールを取り上げられるんですけれど、また取りに行って……今だったら絶対にやらないです(苦笑)。
松が谷FCとは別に、小2~4までは(東京)ヴェルディのスクールに週1くらいで通っていました。
最初に入った時に指導してくれたのは菊池新吉(現川崎フロンターレGKコーチ)さん。
小2の僕が泣きながらドリブルで向かっていったことがあったみたいです。後に、そんな子どもは今までいなかったと言われました(笑)。
――本当に負けず嫌いですね。
一番になりたいって気持ちが強かったのかな。菊原志郎(現横浜F・マリノスジュニアユースコーチ)さんもいて、見て学ぶことが多かった。
そこがヴェルディと他の違うところですね。…