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◇手紙に「河州より妻妹罷越し」
江戸中期の画家で俳人の与謝蕪村(1716~83年)の手紙が新たに見つかり、調査した永井一彰・奈良大教授(近世国文学)が12日発表した。文面に「河州より妻妹罷(まかり)越し」(河内から妻の妹が出てきました)との記述があり、蕪村の妻に妹がいたことが新たに判明。永井教授は「蕪村の妻の実家が河内だった可能性がある。蕪村が河内を詠んだ句の解釈を変えるかも知れない発見」としている。(佐藤直子)
手紙は縦15・9センチ、横58・9センチで、掛け軸になっている。永井教授が2007年、京都市の古美術店で見つけた。宛先不明の人物に近況を伝える内容で、末尾に蕪村の署名もあり、蕪村が妻子と京都で暮らしていた明和年間(1764~72年)中頃に書いたとみられる。
蕪村には、河内を題材にした俳句が幾つかある。そのうち「河内女(かはちめ)の宿に居ぬ日やきじの声」の句は、万葉集や後拾遺集などで「河内女」は「機織り女」と理解され、「家に女たちが留守で、やかましい機織りの音に代わってキジの鳴き声がよく聞こえる」と詠んだと解釈されていた。
しかし、永井教授は河内女は蕪村の妻を指している可能性もあるとして、「口うるさい妻が不在でせいせいするが、雌を呼ぶキジの声を聞いていると、ちょっと寂しい」という意味とも考えられるとしている。
小林孔(とおる)・大阪城南女子短大教授(俳文学)の話「蕪村の家族関係は多くが不明で、義妹の存在が分かったのは大きい。河内は義妹の嫁ぎ先だった可能性もあるが、河内の句の見方が変わる資料だ」