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◇橿原市教委 西端見つからず
日本書紀や万葉集に登場する人工池「磐余(いわれ)池」と推定されている橿原市の東池尻・池之内遺跡で見つかった6世紀後半の堤は、上面幅25メートル以上の大規模なものだったと確認され、市教委が12日発表した。地形から幅20~55メートルと推定されていたが、それを裏付ける成果。
2月から堤の西半分にあたる場所約90平方メートルを初めて調査し、全面で自然の高台を利用した堤を検出。池があったとされる西側に向かって緩やかに低くなっていた。前年度の調査で堤の東端が確認されているが、今回西端は見つからず、周辺の堤は少なくとも幅25メートル以上とわかった。
そのほか、小さな柱穴や中近世以降の耕作痕跡が出土したものの、目立った遺構は見つからなかった。
石坂泰士主査は「堤の幅が大きいことが考古学的にも証明できた。30メートルはあっただろう。遺跡は、大規模な土木工事で造ったため池の最古に近い事例で、今後も調査を継続していきたい」と話している。
日本書紀によると、磐余池は5世紀前半の履中天皇が築き、585年には用明天皇が磐余池辺双槻宮(いけべのなみつきのみや)を造営した。万葉集には、686年に処刑された大津皇子(みこ)が池のほとりで詠んだ辞世の歌も収録されている。同遺跡が磐余池と推定されているが、異論もある。
現場はすでに埋め戻されているが、調査成果は17日~5月10日、歴史に憩う橿原市博物館(橿原市川西町)の速報展示で紹介する。問い合わせは同博物館(0744・27・9681)。