社会そのほか速
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田舎に住んでいる。東京から居を移して、もう20年以上になる。これもIT革命とやらのおかげだ。
思えば物書き稼業に身を転じた30年ほど前は、原稿用紙に万年筆で書いていた。ある新聞社には、カーボン紙付き3枚綴りの原稿用紙もあった。そう、今も文具店で売っている、あの請求書や領収書の要領。コピー機もまだ当時は高価な事務機器だったので、三文ライターにはできるだけ使わせない知恵だったのだろう。書きながら思い出したが、そういえばコピー機にはカギがあって、そのカギは何枚コピーしたかがわかるカウンター機能もついていた気がする。
それはともかく、じきに原稿用紙はワープロに代わり、年月を経てパソコンとインターネットになった。原稿の入稿の仕方も手渡し、郵送からファクスとなり、それも生原稿がフロッピー、CD-ROM、そして今ではネットでスイスイと送れるようになった。
書きながら思い出したが、手書きで原稿用紙に書いている時代は、留守番電話は電話機とは別モノだった。今では考えられないだろうが、留守番電話機という機械があったのだ。その留守電機には♫ピコピコピコピコ♫なるリモコンがついていて、公衆電話から自宅に電話すると話す方にリモコンを当て……。
ちなみ小林明子の『恋におちて-Fall in love-』は、今から30年前、1985年の歌である。不倫という言葉が広く社会に認知されたテレビ番組の主題歌だが、その歌詞中、不倫相手はプッシュホンではなくダイヤルを回し手を止めるのである。しかも完全週休2日制ではないから、既婚の不倫相手が妻の元に戻るのは土曜の夜であった。あれから30年間をボクはマスコミの世界で生き、後半20年間を田舎で暮らしてきた。いまどきITなんて言葉を使う者がいるかどうかも疑問だが、ボクの田舎暮らしを支えているのは紛れもなくITである。
と、そんなボクに先見の明があったとか、田舎暮らしの先人、ときに達人だとか、そんな見方をする者が最近、増えてきて困惑している。
「どうか田舎暮らしの極意を教えてください」
だって!
冗談じゃない!
告白しよう。そもそもボクが田舎暮らしを始めたのは、第一に都会の家賃が高いからである。そして第二は、都会のがコジャレた女の子にモテなかったからに他ならない。ときどきそんな女性と絡むこともあったが、気後れはするわ、見栄も張らなきゃならないわ……とにかく疲れていけない。先見の明でも、人間らしい生き方を求めたわけでもなく、単に都会暮らしに落ちこぼれたにすぎない。
しかも田舎でも浮いている。それはそうだろう。田舎で昼間まで寝ているような物書き稼業など、まあロクデナシの代名詞でしかない。田舎でもまたハンパ者なのだ。
だが、このハンパ者というポジションも、そんなに悪いものではない。東京に出張すれば「久しぶり」といって旧友が飲みに誘ってくれる。「田舎暮らしを聞かせてよ」と言って。それでもって田舎に帰れば、今度は「都会の話を聞かせてよ」と。
実際、たまに田舎に帰れば女房が黙って晩酌を用意してくれるし、「まだ飲むの?」という頃には、今度は東京に出張すればいい。旧友が「久しぶり」ともてなしてくれる。恋愛にこの技術を応用できないかとも考えたものだが、そもそも都会の女にモテず都落ちしたボクに、そんな器用なマネができるはずもない。
そんなテクニックを駆使できる人間なら、都会でもリッパに二股、三股……もしや何人もの愛人を囲える甲斐性が育まれたことだろう。まあ原稿を送るスピードは速くなったが、モテない男がもてるためには、まだまだ物理的な距離と時間が必要なようである。
イラスト: 田渕正敏