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太平洋戦争末期の沖縄戦に動員され、女学生ら136人が亡くなった「ひめゆり学徒隊」の生存者が続けてきた「講話」が3月末で終わる。凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦を生き抜いた元学徒も80代後半になり、体調などを考慮して決めた。4月以降は戦争体験のない「説明員」らが後継者として元学徒の戦争体験を語り継ぐ。「ひめゆり」は戦後70年の今年、大きな節目を迎えた。【佐藤敬一、山本太一】
「目の前で多くの友達を亡くし、言葉で表現できないぐらいの恐ろしいこと、悲しいことを体験しました」。2月26日、沖縄県糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」で元学徒の島袋淑子館長(87)が、新潟県から訪れた中学生約80人に自らの体験を語った。
沖縄戦当時17歳。6月18日、米軍に追い詰められた沖縄本島南部で日本軍の「解散命令」が出された後、砲弾が飛び交う戦場を約10日間さまよって重傷を負った。「どんなことがあっても絶対に戦争は駄目ということを皆さんに知ってほしい」。3月末の講話終了を前に生徒たちに「メッセージ」を託した。
資料館は犠牲になった学友の無念、沖縄戦の実相を伝えたいと同窓会が中心となって1989年6月23日に開館した。資料展示や映像などで学徒隊の悲劇を伝える。「講話」は修学旅行など団体の予約や依頼に応じ、元学徒が「証言員」として館内外で学徒隊の経緯を話してきた。記録が残る2013年度までの19年間で1万3827回を数える。
だが、開館当時27人いた証言員は今、86〜89歳の9人。「館外講話」は一昨年9月末で終え、今年4月以降は館内でも新たな講話の予約を受け付けないことを決めた。来館者に随時説明する語り部としての活動は体調をみながら続ける。
資料館は元学徒が語れなくなる日を見据え、02年から「次世代プロジェクト」をスタート。05年には元学徒の仕事を受け継ぐ「説明員」の採用を始め、後継者の育成を図ってきた。20〜30代の3人が説明員として元学徒から聞き取りを重ね、展示室で語っている。
島袋館長は「体験を話すのはつらいのでほっとする半面、体験者がいなくなるとまた戦争の準備が始まるのではと心配になる」と複雑な心境をのぞかせる。それでも「若い人たちは私たちの思いをしっかり受け取ってくれている。安心してバトンを渡します」。
元学徒で、資料館を運営する「ひめゆり平和祈念財団」の本村ツル理事長(89)は、負傷した友達を残したまま逃げたことを今も悔やんでいる。…