社会そのほか速
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【ワシントン時事】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、米政府がイエメン政府に供与した計5億ドル(約600億円)以上の小型武器や弾薬などの所在を追跡できなくなっていると報じた。武器がイランの支援を受けるイスラム教シーア派系ザイド派武装勢力や、国際テロ組織アルカイダ系組織の手に渡る恐れもあるという。

山形中央開発(株)(TSR企業コード:210058137、山形市七日町2-7-2、設立昭和48年11月、資本金1920万円、齋野五兵衛社長、従業員20名)と、関連の(株)七日町パーキングプラザ(TSR企業コード:210205024、同所、設立昭和58年10月、資本金2450万円、同社長、従業員1名)、(株)マリエル(TSR企業コード:210218940、同所、設立昭和49年6月、資本金2000万円、同社長、従業員5名)の3社は3月9日、山形地裁より破産開始決定を受けた。破産管財人には田中暁弁護士(弁護士法人あかつき佐藤欣哉法律事務所、同市相生町5-25、電話023-632-2070)が選任された。
負債は山形中央開発が約28億4000万円、七日町パーキングプラザが約7億6000万円、マリエルが約1億9000万円、3社合計で約37億9000万円。
デパート跡地の有効活用を目的に山形中央開発(株)を設立。昭和49年6月に山形市内の繁華街である七日町商店街にテナントビル「セブンプラザ」、61年4月に近隣にテナントビル「ARC」および立体駐車場「ARC七日町パーキングプラザ」をオープンさせた。
ピークとなる56年12月期には売上高は3億3268万円を計上した。しかし、バブル崩壊後の急速な消費低迷によりテナントの撤退が加速、加えて郊外型大型店舗の進出により七日町商店街の空洞化も目立ち始め、19年12月期の売上高は2億2984万円へ低下し、所有不動産の資金として調達した借入金が負担となっていた。21年11月に「ARC」と「ARC七日町パーキングプラザ」の不動産を他社に売却(ARC、ARC七日町パーキングプラザは営業中)し、債務の圧縮を図った。
しかし、以降も東日本大震災の影響等によりテナント撤退に歯止めが掛からず、25年12月期の売上高は約1億円に落ち込んだ。このため26年9月、「セブンプラザ」の不動産も他社へ売却(セブンプラザは営業中)し、事後処理を弁護士に一任し事業を停止した。
七日町パーキングプラザは「セブンプラザ」に隣接する立体駐車場を運営、マリエルは「セブンプラザ」内で衣料品等の販売を手掛けていたが、山形中央開発に連鎖した。

「I am sure this video is going to surprise you(このビデオはあなたを必ずや、驚かせることだろう)」
動画を見る
こちらのメッセージとともにAashiq Abuさんのフェイスブックに投稿されていた、1本の動画。
今年1月11日に投稿されて以来、再生回数1369万回(!)超えを記録している快挙を見れば、いかに注目度が高い動画であるかということが、おわかりいただけることでしょう。
【どんなふうに驚かせてくれるの!?】
必ずあなたを驚かせる……はてさて、一体どんなことが起こるのかしら。
【最初の20秒間は、ただただ牧歌的】
ワクワクしながら動画を見始めたところ、出だしは、なにかが起こる気配はゼロ。巨大な絵らしきものが並んで2つ飾られている周辺に、20名ほど男性がいる。たったこれだけの、非常に牧歌的な場面のまま、しばし進行します。
【その後訪れた急展開】
ところが、20秒ほど経過したあたりから、事態は一変。男性たちが絵らしきものに、長~~~い棒で火を点け始めたではありませんか!
【ありえない量の煙が……!】
その直後、煙がもくもく。もくもくもくもくもく……って、煙出すぎーーーーー!!! そしてそんな異様な光景の後に待っていたのは、さらなる衝撃だったわけなのですが……この続きは、あなたがその目で直接、確かめてみてくださいね。
【視聴者の声】
動画を観た人々からは、「ものすごい!!!!!」「狂ってる」「スリルあるう」「ウケる」などなど、続々コメントが寄せられている模様。
なにが起こっているのか理解できないけれど、とにかく「すんごーーーーー!!!」と声が出てしまうことだけは確実。それでは大変お待たせいたしました。あなたの脳を、心を刺激する1本を、さっそくご覧くださいませ!
参照元:Aashiq Abuさん フェイスブック
執筆=田端あんじ (c)Pouch

17日スザンヌ(28)が、プロ野球「ソフトバンクホークス」の元投手で、現在は野球評論家として活動している斉藤和巳(37)と離婚したことを発表しました。
2人には、昨年の1月6日に長男が誕生したばかり。それなのになぜ離婚?
スザンヌさんは「すれ違いが多く、家族としての時間が十分に持てなくなったうえに、私が出産と育児にいっぱいいっぱいになってしまい、彼に対して思いやりを持つことができなかったのかもしれません」というコメントを発表していますが・・・。
2人は6年前に知人の紹介で知り合い意気投合。当時の斉藤氏は現役投手でしたが、肩を痛め現役を引退し、ピッチングコーチになっていました。そんな斉藤氏をスザンヌさんは必死に支え続け、交際約2年で結婚しています。スザンヌさんのブログには斎藤氏がよく登場し、仲睦まじい様子でしたが、昨年8月からはスザンヌさんのブログに斉藤氏は一度も登場していません。
その理由がわかったのは、昨年12月です。なんと斉藤氏の浮気が発覚。昨年8月にプロゴルファーの上田桃子(28)との不倫を週刊誌が報じたのです。これが離婚の原因では?
そもそも、斉藤氏はスザンヌさんと交際する前に離婚歴があります。しかも娘がいました。
そのときの離婚原因についてモデルとの不倫の噂がありましたが、ハッキリした離婚原因が発表されていないので不明。元々妻は一般人で、現在は福岡で娘と2人でひっそりと暮らしているようですね。
そして斉藤氏がスザンヌさんと路上キスが撮られたときは、リハビリに専念するため入院中だったのですが、病院を抜け出したことがバレてますね。
これからも問題ありの人の可能性がありますが、斉藤氏は「彼女には多くの事を教えてもらいました。今は沢山の感謝の気持ちでいっぱいです」と、立派なコメントを発表しています。しかし、まだ1歳になったばかりの子供がいるのであれば、どんな理由があっても子供のために頑張るのが本当の男でしょう。スザンヌさんはまだ経済的に自立できているからいいけど、こういうタイプの男にふりまわされると大変な人生になりかねません。
3年前の12月。グアムで挙式したときは「今まで生きてきた26年間の人生の中で一番幸せな瞬間」とスザンヌさんはコメントしていましたが・・・今はどう思っているのでしょうか。
スザンヌさんも斉藤氏も、遠距離を理由にすれ違いが離婚の原因としたいようですが、遠距離の夫婦は大勢いるはず。スザンヌさんは、会見で本当の理由を語るのでしょうか・・・。
(芸能記者レッド/東京独女スタイル)

群馬県内には道祖神や庚申塔、馬頭観音など、民間信仰に由来する素朴な石造物が多い。だから赤城山麓にそういうものがあっても不思議はないのだが、1860年(万延元年)から幕末までの8年間に集中的に建てられた石造物がある事実を、どうみればいいのだろうか? 特に、1864年(元治元年)に『大黒天』だけで8体も建てられているのは、ただごとではない。筆者がそれを知ったのは、1995年のことだった。
実はそれ以前から、赤城町棚下の岩壁に彫られた剣持大黒天(元治元年)や、津久田十二坂の狩野家梅林にある大青面金剛明王(安政7年)などが気に掛かっていた。徳川の埋蔵金が古兵法『八門遁甲』で隠されたのなら、必ず地上に目印が置かれているはず。その目印は「不動のもの」、つまり、長い時間がたっても移動したり消滅したりしないものでなければならない。宗教に関連したもの、石造物が使われていることが多いと聞く。
そこで、他にも何かあるかもしれないと考え、前号でご紹介した岩手県の牧場主の調査に付き合った後、赤城村(当時)の役場に立ち寄った。教育委員会がまとめた石造物のリストがあると聞いていたからだ。運良く残部があったので一部分けてもらったのだが、帰京後すぐに地元の人物から電話がかかってきた。役場に置いてあった名刺から筆者の連絡先を知ったらしい。
ガソリンスタンドを経営しているというその男性Tは、筆者が徳川埋蔵金の調査をしていることも知っていて「なぜ石造物に興味を持ったのですか?」と問いかけてきた。「御用金の埋蔵場所へ導く手掛かりを探していたもので」と正直に答えると、相手はこう言った。
「ぜひ聞いていただきたい話があります。私たちは埋蔵金探しをやっていたわけではなく、趣味で山岳信仰と石造物の関係を調べていたのです。ところが幕末に建てられたものがやたらに多いので、それがなぜなのか不思議に思って研究していたところ、それらを建てた人物が特定できたのです。やっぱり、埋蔵金に関係があるとしか思えません」
筆者はだんだん血が沸き立ってきた。(彼は、僕の知らないことを知っている!)
数日後、筆者は赤城山の麓へ向けて車を走らせた。
Tは石造物の中のいくつかに、同じ人物の名が刻まれていることに気が付いた。観理院第三十世権僧正廣深。かなり位の高い僧であることは想像できたが、観理院という寺がどこにあるかすぐにはわからない。今のようにネット検索などできなかったころだから、それが判明するまでに数年かかった。そして、一緒に研究をしていた彼の兄が、実にアナログ的な方法でそれを発見した。江戸市中の切絵図の中にあったのだ。
東京都民なら誰でも知っている日枝神社。千代田区永田町二丁目にある、格式の高い都内でも指折りの神社だ。神仏習合が行われていた江戸時代末期までは、広い境内の中に神社を管理する役目をもつ別当寺の観理院を筆頭に、10を数える坊(大寺院に属する小院)があった。古地図を見ると、観理院は現在の永田町山王森ビルからザ・キャピトルホテル東急にかけての広い場所を占め、他の坊は南側の溜池に面してずらりと並んでいたようだ。
日枝神社は、太田道灌が江戸城を築いたころからあり、徳川家康が江戸に移って城を改修したときは城内に置いて城の鎮守としたが、4代将軍家綱のころ、江戸城の裏鬼門に当たる現在の場所に移された。いずれにしろ徳川幕府にとっては縁の深い神社で、刻まれている名の廣深は、そこのトップだったわけである。
そしてTは、もう一人の重要人物の情報をつかんでいた。廣深とともに行動していた地元出身で江戸で材木商として成功した狩野長重郎だ。2人がプロデューサーとスポンサーの関係だったことは容易に想像がつく。では、そのプロジェクトの中身は何だったのか?
「江戸城の普請に使った木材はほとんどが上州産だったらしいですから、狩野も幕府とは関係が深かったと思われます。2人で、幕府のために一肌脱いだということではないでしょうか」
Tは自信満々だった。筆者もそう思った。石造物は呪術的意味合いとともに、しかるべき後のしかるべき人物のために残した道しるべの役割を持っているのかもしれない。言い伝え通り、御用金埋蔵の発案者が井伊直弼だったのなら、2人が石造物の配置を終えた元治元年は、井伊が桜田門外で斃れてから4年後のことで、遺志を継いだという解釈になる。
問題は石造物の配置だ。筆者は一通り見て回り、その結果思い浮かんだポイントがあるが、それについての見解は、本シリーズの最後に述べることにする。
(完)
八重野充弘(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。