社会そのほか速
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
教育をめぐる環境について深く思索した同書は、ある意味、教育関係者には刺激が強すぎるかもしれない。諏訪さんに、いま「教育」の何が問題なのかを、3回シリーズで聞いた。
――まず1章で、いわゆる教育学者と現場の教師との意識の乖離(かいり)について触れていますが……。
「教育学者の言っていること、書いていることは正しいのだと思います。間違った理論というのは、普通ありません。ただ、それが実際の現場、つまり学校および教師と生徒の間の問題として捉えると、違うものに変質することをかねがね感じています。
その点に関して、この本では『教師の本質は、理論と現場の中間にある』と説明しました。教師の本質は、決して理論だけでは説明できない。理論は現実ではないからです。
ところが学者は、理論で押し通そうとする。かつてイギリスの著名な学者と対談した際に、途中で相手が急に怒り出して席を立ったことがあります。2000年前後のことです。彼は文部科学省や日教組の統計資料を元に『教師の生徒に対する体罰は増えている』と言うのです。一方、私は1964年(昭和39年)に教師として着任しましたが、80年代の半ば以降は世間的に『体罰は許されない』という風潮が強くなり、また生徒も体罰を受け入れないようになり、体罰はできなくなっていることを体験しています。教師の実感として、むしろ減っています。それなのに、その教育学者は『増えていると認めないなら議論はできない』と言うのです。私の立場ですと、統計よりも現場で見聞きしたことに確信を持ちます」
――80年代を境に「教師の権威が失墜し、指導力が衰えた」と指摘されています。その原因は?
「これまでの著書でも書きましたし、教育の関係者なら自明なことなので、あえてこの本では詳しく書きませんでした。つまり社会構造が変わり、日本人が自立したからなのです。私は1941年(昭和16年)生まれでして、子どものころは親や教師の言うことは絶対で、言うことをきかないという選択肢などありませんでした。そうした状態が戦後もしばらく続いたのですが、60年ごろを境に変わってきた。テレビとお金が家庭に入ってくることで、情報も直接子どもに届くようになり、個人の自立を促したのです。
私のくくりでは、60年ごろまでは前近代的な農業社会で、それから75年ぐらいまでがちょうど高度成長時代と重なる産業社会的近代、それ以降は超近代、ポストモダンなどといろいろな呼び方がありますが、消費社会化した近代だととらえています。70年代の半ばを境に、日本の構造そのものが変わった。人間、市民が自立し始め、共同的なしきり、共同体的な上下関係が無視されるようになり、それにともない親や教師、その他あらゆる権威が失墜し始めたのです。そして80年代になって教師に対する中学生の暴力、校内暴力が始まり、学校そのものの権威が失墜し、システムとして機能しにくくなったのです」
――先進国と呼ばれる欧米諸国でも同じような状況なのでしょうか。
「そうとは言えないと思います。最近のアメリカ映画を見ていると、たとえ子どもが叱られて早く寝るように言われたり、一定期間の外出禁止を命じられても、不平は口にしますが、ちゃんと親の指示に従う場面をよく見かけます。やはり宗教的なバックボーンとしてキリスト教があるからだと思います。
欧米のキリスト教国の場合、学校では教科だけを教えていて、生活指導はしていません。もし生活面での指導が必要になった時は、専門のカウンセラーか、校長もしくは教頭がそれを担当します。教師は、生徒の人格育成には関わらないのです。欧米ではその方面は教会の役割で、影響力は以前よりは衰えたとはいえ、やはりキリスト教的な感性というのが社会に根強く残っています。
一方、日本の場合は、昔から神道的なものなり、仏教的なものがあるとしても、キリスト教ほど絶対的なものではありません。ですから、明治維新以降、欧米の学校システムを取り入れた時に、教科とともに生活指導も引き受けざるを得なかったのです。そこが欧米と大きく違います。一般に学者は、欧米の教育学をそのまま取り入れ、横文字を縦に変えてやっているだけだから、日本の実情とはかけ離れていることが多いです」
(続く、聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)