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日本の実情とかけ離れた「教育学」理論<上>

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日本の実情とかけ離れた「教育学」理論<上>

日本の実情とかけ離れた「教育学」理論<上> 現場の教師の立場から、より現実的な提案を続けている「プロ教師の会」代表、諏訪哲二さんが、新著「『プロ教師』の流儀 キレイゴトぬきの教育入門」(中公新書ラクレ)を刊行した。

  教育をめぐる環境について深く思索した同書は、ある意味、教育関係者には刺激が強すぎるかもしれない。諏訪さんに、いま「教育」の何が問題なのかを、3回シリーズで聞いた。

  • 「教師の本質は、理論と現場の中間にある」と訴える諏訪哲二さん
  •   ――まず1章で、いわゆる教育学者と現場の教師との意識の乖離(かいり)について触れていますが……。

      「教育学者の言っていること、書いていることは正しいのだと思います。間違った理論というのは、普通ありません。ただ、それが実際の現場、つまり学校および教師と生徒の間の問題として捉えると、違うものに変質することをかねがね感じています。

      その点に関して、この本では『教師の本質は、理論と現場の中間にある』と説明しました。教師の本質は、決して理論だけでは説明できない。理論は現実ではないからです。

      ところが学者は、理論で押し通そうとする。かつてイギリスの著名な学者と対談した際に、途中で相手が急に怒り出して席を立ったことがあります。2000年前後のことです。彼は文部科学省や日教組の統計資料を元に『教師の生徒に対する体罰は増えている』と言うのです。一方、私は1964年(昭和39年)に教師として着任しましたが、80年代の半ば以降は世間的に『体罰は許されない』という風潮が強くなり、また生徒も体罰を受け入れないようになり、体罰はできなくなっていることを体験しています。教師の実感として、むしろ減っています。それなのに、その教育学者は『増えていると認めないなら議論はできない』と言うのです。私の立場ですと、統計よりも現場で見聞きしたことに確信を持ちます」

      ――80年代を境に「教師の権威が失墜し、指導力が衰えた」と指摘されています。その原因は?

      「これまでの著書でも書きましたし、教育の関係者なら自明なことなので、あえてこの本では詳しく書きませんでした。つまり社会構造が変わり、日本人が自立したからなのです。私は1941年(昭和16年)生まれでして、子どものころは親や教師の言うことは絶対で、言うことをきかないという選択肢などありませんでした。そうした状態が戦後もしばらく続いたのですが、60年ごろを境に変わってきた。テレビとお金が家庭に入ってくることで、情報も直接子どもに届くようになり、個人の自立を促したのです。

      私のくくりでは、60年ごろまでは前近代的な農業社会で、それから75年ぐらいまでがちょうど高度成長時代と重なる産業社会的近代、それ以降は超近代、ポストモダンなどといろいろな呼び方がありますが、消費社会化した近代だととらえています。70年代の半ばを境に、日本の構造そのものが変わった。人間、市民が自立し始め、共同的なしきり、共同体的な上下関係が無視されるようになり、それにともない親や教師、その他あらゆる権威が失墜し始めたのです。そして80年代になって教師に対する中学生の暴力、校内暴力が始まり、学校そのものの権威が失墜し、システムとして機能しにくくなったのです」

    生活指導も引き受ける教師…欧米との違い

     

      ――先進国と呼ばれる欧米諸国でも同じような状況なのでしょうか。

      「そうとは言えないと思います。最近のアメリカ映画を見ていると、たとえ子どもが叱られて早く寝るように言われたり、一定期間の外出禁止を命じられても、不平は口にしますが、ちゃんと親の指示に従う場面をよく見かけます。やはり宗教的なバックボーンとしてキリスト教があるからだと思います。

      欧米のキリスト教国の場合、学校では教科だけを教えていて、生活指導はしていません。もし生活面での指導が必要になった時は、専門のカウンセラーか、校長もしくは教頭がそれを担当します。教師は、生徒の人格育成には関わらないのです。欧米ではその方面は教会の役割で、影響力は以前よりは衰えたとはいえ、やはりキリスト教的な感性というのが社会に根強く残っています。

      一方、日本の場合は、昔から神道的なものなり、仏教的なものがあるとしても、キリスト教ほど絶対的なものではありません。ですから、明治維新以降、欧米の学校システムを取り入れた時に、教科とともに生活指導も引き受けざるを得なかったのです。そこが欧米と大きく違います。一般に学者は、欧米の教育学をそのまま取り入れ、横文字を縦に変えてやっているだけだから、日本の実情とはかけ離れていることが多いです」

      (続く、聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)

    プロフィル諏訪 哲二<すわ・てつじ> 1941年、千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒。64年に教師として着任して以来、埼玉県の公立高校で英語教師を務め、2001年、県立川越女子高を最後に定年退職。以後、「プロ教師の会」代表として、著作や講演などを通じて教育問題について積極的に発言を続けている。近著に、「『プロ教師』の流儀 キレイゴトぬきの教育入門」(中公ラクレ)。

     

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