社会そのほか速
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今、各地で子育てを支えるための動きが広がっている。
核家族化や少子化が進むなかで起きた3・11の震災をきっかけに、地域と子育て世代とをつなげる取り組みが増えた。そのなかで、子どもや若者の社会力を育成しようと活動をしているのがNPO法人夢職人だ。代表理事の岩切準さん(32歳)を取材した。
夢職人では、東京都江東区を活動拠点に、小中学生を対象にした自然体験活動や文化芸術活動などを定期的に開催している。特に、事業の柱である体験型教育プログラム「キッズクラブ」の会員数は現在、250名を超える。
キッズクラブの活動は、年10回行うデイプログラム「あそびの達人」と、年8回の2泊3日前後宿泊プログラム「各種キャンプ」で構成される。大きな特徴は、子どもの「やりたいこと」を、自然や地域の環境を活(い)かしながら実現することだ。企画内容は、子どもたちへのアンケートを年に複数回実施するほか、直接話を聞くなどしてテーマを決めることから始まる。
「夢職人でいう“社会力”には、大きく2つの意味があります。多様な人との関わりや実体験のなかで、1つはコミュニケーション力を身に付けること。2つ目は、自分の得手不得手や好き嫌いについて理解すること。『かわいい子には旅をさせよ』という言葉の通り、親元を離れて困難も含めた経験をすることは、将来、社会で生きていくうえで必要な力になると考えています」
たとえば、2011年から毎年11月に実施している“森の秘密基地作り”は、「まんがで読んだんだけど、秘密基地って作れないよね」という子どもの声から生まれた。
活動場所は森の中。用意されたのは、のこぎりやロープなどの道具だけ。子どもたちは、学校や地域の異なる面々で6人前後のチームを作り、場所を決めて、木の枝や石など森にある天然の材料を使いながら、みんなが目指す基地を作り上げる。
「大事なのは、いろいろな子がいるなかで、“自分はどうしたいか”を子ども同士で話し合い、考えながら、一緒にプログラム(基地)を完成させること。時にはけんかを乗り越えながら、子どもたちは自発的に協力し、行動していきます。すると、物作りが上手な子、ルール決めが得意な子など個性も引き出されていって、その相乗効果はいつも大人の予測を超えています」
大学生や若手社会人を中心としたボランティアスタッフも大きな存在だ。次の社会を担い、親となる世代が数多く継続的に参画している。彼らと子どもたちの間には、兄弟・姉妹のような信頼関係が自然と生まれていくという。
「夢職人では、『スタッフや友だちに会いたい』と参加を続ける子どもが多いです。そんな環境でたくましく遊ぶわが子の姿を活動報告ノートや写真で見て、驚く保護者も多いですね。学校では無口で手も挙げないのに、ここでは大きな声を出したり、リーダーシップを取ったりしている。『本当にうちの子ですか?』と」
「子どもの居場所は学校と家庭だけじゃない。子どもたちには、地域のどこかに自分の好きな人や、やりたいことと出会える“第三の居場所”を見つけてほしい」
こう語る岩切さんの原体験は、まず子どもの頃の思い出に遡る。自治会活動が活発だった江東区の下町で育った岩切さん。近所の人に地域のお祭りや子供会の行事に連れて行ってもらうなど賑(にぎ)やかな思い出が多い。
「自治会のおじさんから本気で叱られたり、近所のお兄ちゃんに悩みを聴いてもらったり。僕は学校が好きというタイプではなかったのですが、地域に居場所がたくさんありました。そういう環境に救われたことも多かったと思います」
高校生になると、岩切さん曰(いわ)く「荒れていた時代」が続いた。それでも子供会の活動では、ジュニアリーダーとして子どもたちをまとめていた。
「あの頃は長髪、腰パン、タンクトップと、ひどい格好をしていましたね。自分で言うのもなんですが、子どもにはすごく人気があったと思います。世の中にはこういう変な大人もいるのかな、と気軽に付き合ってくれたのではないでしょうか」
高校卒業後に就職した内装関連の会社では、親方や年の離れた大人たちに囲まれて建設現場などで働いた。そこでは複雑な共同作業の大変さや、ブルーカラーとホワイトカラーの格差を身をもって感じたという。特に、先輩たちからの言葉は岩切さんの生き方を変えるきっかけを与えた。
「『お前、これから先どうするの?』とか『ずっとこの仕事でやっていくの?』とか言われました。そこで初めて自分の将来と向き合ったんです」
岩切さんは約1年勤めたその会社を退職し、関心のあった子どもや心理学について勉強するために、大学の社会学部社会心理学科へ進学。入学後は学年トップの成績を取り、大学の学業成績優秀者に選ばれて学費の半額が給付になった。
夢職人を立ち上げたのは大学3年生のとき。看護師をしながら2人の子どもを育てているというシングルマザーから、「週末も仕事がある。でも、学童が休みで預け先がない」と悩みを打ち明けられ、子どもたちを預かったのが始まりだ。ただし、それはほんの一例で、その後、親の病気や仕事など子どもたちと遊びたくても遊べない親が大勢いることを知ったという。
大学の後、進学した大学院を修了すると、岩切さんは大手企業の内定を辞退し、夢職人の活動に専念するようになる。
「今ここで自分が辞めたら活動は終わると思ったのが理由です。でも、立ち上げから3年は、主要メンバーでアルバイト代を出し合っても毎月赤字続きでした。僕自身は、2008年に法人化した後も2年くらいは生活費を工面するのに必死で、調査事業をはじめ仕事は何でもやりました。大学時代に学んだ統計学がその時に役立ちましたが、本当に苦しかったですね」
岩切さんが夢職人を始めてから今年で10年が経(た)った。現在、キッズクラブの活動は、地方の自治体や支援団体らとパートナー関係を作りながら活動エリアを広げている。つまり、郷土料理作りや町のお祭りなどの体験を通して、仲間や地元の人と関わり合う機会を増やし、子どもたち一人ひとりの豊かな成長につなげようというものだ。
「その土地ならではの魅力は、大事な教育の資源です。僕たちの役割は、全国の教育資源と子どもや若者を結び付けていくこと。親や学校の先生だけに責任を求めるのではなく、社会全体で子どもや若者の成長を支える仕組みを作っていきたいと思っています」
夢職人の事業を展開する傍ら、岩切さんのもとには子どもとの接し方に悩む親や子ども自身からの相談が絶えない。児童館職員や教師の研修講師を務めることもあるという。「子どもたちの成長を地域で支えたい」という岩切さんの想(おも)いは、少しずつ家庭や学校を動かしているようだ。
(NPO法人ETIC. 高梨莉己)
大きい窓から見える景色を楽しみながら、旬の野菜をふんだんに使った料理を味わう。
そんな贅沢(ぜいたく)な時間を過ごそうと、兵庫県西宮市にあるレストラン「野菜ビストロ レギューム」には、年間3万人を超える客が訪れる。
トマトにレタス、ジャガイモに空芯菜――。使う食材は、ほとんどが地元の農家が栽培した有機野菜だ。レストランの経営を手掛けるfarm&company社長の光岡大介さん(36)は「手間暇がかかる有機農業を続けることは、生産者にとっても簡単ではない。意欲のある生産者が食べていけるよう支援するのが事業の目的」と話す。
支援の方法も、レストランで有機野菜を使うだけではない。
食事を通じて有機野菜に興味を持った人を対象に、光岡さんが代表を務めるNPO「みつばちFARM」が「生産者訪問ツアー」を年間4~5回ほど実施。丹波の黒豆やトマトを収穫したり、ブルーベリー摘みの体験などをしたりしている。来年には、兵庫県内の有機野菜をテーマに毎号食材を付録につける定期購読紙「兵庫食べる通信」の発刊を予定するなど、さまざまな手段で有機野菜のファンを増やしている。
また、直接的に生産者の収入を増やすため、加工品の製造販売にも挑戦。自身が代表理事を務める兵庫県有機農業活性化協議会で「Deliceterre(デリステール)」と名付けたブランドを立ち上げ、丹波産のニンジンを使ったジュースや、タマネギを使ったソース、乾燥野菜のパスタセットなども販売し、好評を得ているという。
そもそも有機農業とは、化学肥料や農薬を使わず、遺伝子組み換え技術も利用しない農法で、農林水産省の推計では、2010年現在、全国で1万2000戸の農家が取り組んでいるとされる。農家全体の中では0.5%にとどまるものの増加傾向にあり、平均年齢も59.0歳で、農業全体(66.1歳)と比べて若い年代が取り組んでいるのが特徴という。
しかし、光岡さんは「有機農業を始めても、途中で挫折する人を多く見てきた」と話す。有機野菜の場合、通常の野菜よりも値段が割高になる場合が多く、どうやって販路を開拓するか、どの程度の値段で売り出すかなど、経営者的な手腕が求められる場合も多い。しかし、そうしたことが苦手で、十分な収入が得られない農家も少なくないからだ。
「消費者に良いものを食べてもらいたいと努力している生産者が、きちんと報われる仕組みを作りたい。そして、それを食べる消費者にも生産者の姿を知ってほしい。家庭の食卓と畑を、野菜の感動でつないでいきたいのです」
最初から有機農業に関わってきたわけではない。2002年に大学を卒業したとき、最初の仕事として選んだのは経営コンサルタントだった。
「当時は、たとえば発展途上国の支援をするような、グローバルに活躍できる仕事がしたかった。政府向けのコンサルティングを手掛ける企業ならその道に近づけるかと思って、外資系のコンサルティング会社に就職しました」
業界大手のアクセンチュアに入社し、順調なキャリアを築き始めたにもかかわらず、その仕事をわずか1年で退職してしまう。「昔ふと思いついた、有機野菜の魅力を広げる事業に挑戦したい、っていう思いが、頭から離れなくなっていたんです」
その考えが最初に浮かんだのは、大学時代に友人との旅行で立ち寄った博多で、コーヒーを飲みながら雑談をしていたときだ。実家が農家でもなければ、それまで農業との接点もほとんどなかった。光岡さんは「本当に『突然ひらめいた』としか言いようがない」と笑うが、後継者不足などで窮地が叫ばれる農業の新たな魅力を掘り起こすというアイデアは、とても面白いものに思えて、頭の片隅に残り続けていたという。
「自分が育ったのは佐賀県の大和町(現佐賀市)という田舎で、周りは田んぼや畑ばっかりあるような場所だった。だから小さい頃は森でカブトムシを探したり、ザリガニを捕まえたり、秘密基地を作ったり、自然の刺激の中で楽しいものを追い求めて育ったんです。今も根っこは同じ。『世界のために働きたい』っていう思いもあったけど、有機農業を広げるというアイデアの方が、もっとわくわくできるように思えたんです」
当時、すでに結婚して長男が生まれていたが、退職して起業するという決断には、恐怖感より高揚感が上回った。「大学卒業前に半年間、楽天でアルバイトをしていたことがありました。上司には、楽天の創業メンバーの人もいた。その強烈なエネルギーにあてられて、自分も起業したいという憧れはずっと持っていました」。実は学生時代、「遠距離恋愛の彼女にフラれそうになったから」という理由で大学を休学し、彼女のいる九州まで駆けつけたことがある。自分の直感に正直に。昔から変わらない考え方だ。
コンサルタントを辞めた03年、まずは有機野菜やオーガニック製品を販売する八百屋を立ち上げた。その後、交流のあった有機野菜のレストランと事業合併したり、有機野菜を販売・提供する八百屋カフェを手掛けたりしたのち、11年にレギュームの開業にこぎつけた。
「人脈がない中で事業を始めることも、レストランの開業資金として4000万円をかき集めなければいけなかったこともあった。どれも本当に大変だった思い出」と振り返る。スタッフの退職が相次ぐなど、レストランの運営すら危ぶまれるような事態になったこともあるという。「でも、そういう経験があったからこそ、自分も経営者として成長できたと思います」
大きく変わったことのひとつが、生産者に対してのスタンスだ。
「事業を始めた当時は、生産者はあくまで、ビジネスパートナーだという認識だった。自分は自分。生産者は生産者。お互いに協力できるところで付き合いましょう、という気持ちがあった。でも、いろんな困難を乗り越えるなかで、自分は何のために頑張っているのかをとことん考えた結果、『生産者のためだ』という原点に立ち返ることができた」
学生時代の思いつきがきっかけになった今の仕事。10年以上続けるうち、生産者の人脈ができ、有機野菜に関心を持ってくれるお客も増えた。「きつい時期も含めて意地みたいなものがあって続けているうち、なんとかいまの場所までたどりついた。やっと、有機野菜の魅力を広げていくことが、自分の天職だと確信できるようになりました」
光岡さんにとって、有機農業とは「タネの可能性を信じること」だという。人工的な手を加えなくても、きっとこのタネは美味(おい)しい実りを与えてくれる。そう信じることが、自然に感謝する気持ちを持つことにもつながっていく。
当面の目標は、生産者自身が加工・販売を手掛ける「6次産業化」の取り組みをさらに進めていくことだ。「どれだけ素晴らしい理念があっても、ビジネスである以上、お金を稼がないと成り立たない。生産者と有機農業を守るために、十分な収益があがる仕組みをしっかり作っていきたいですね」
「Deliceterre」
(NPO法人ETIC.遠藤隆史)
ある就職活動サイトの2014年の調査では、「出産後も仕事を続けたい」女子学生が、「定年まで働きたい」を含めて7割を超えた(※)。
一方で、「母親が専業主婦で、子育てと仕事を両立するイメージが持てない」「ワーキングマザーになるのは大変そう。自分には無理」と、両立に不安を抱いている女子学生が実は多いと、スリール株式会社の堀江敦子さん(29歳)は語る。
堀江さんが手がけているのは、そんな学生たちが、共働き家庭の子育てをサポートしながら、仕事と家庭生活をリアルに学べる“家庭内インターンシップ”プログラムだ。「ワーク&ライフ インターン」という名称で、2010年から都内近郊で事業展開している。
「子どもを預かるだけのベビーシッターサービスとは違います」と堀江さん。「学生のキャリア教育を目的としていることが特徴なのです」
受け入れ家庭の条件は、2歳~小学3年生の子どもを持つ共働き家庭。登録した学生は、保育士などの有資格者による36時間の研修を受けた後、週に1~2日、学生2人1組で担当する家庭に入り、3時間程度子どもを預かる。
「保育園のお迎えをしたり、一緒に遊んだり勉強を教えたり。学生の企画で誕生日会をすることもあります。お預かり時間終了後は、帰宅した母親、父親と夕食をともにしながら、仕事や子育ての体験談から、就職活動や恋愛の悩み相談まで、幅広く話し合える時間をつくっています」
既存のベビーシッターサービスのような単発利用ではなく、同じ学生が一つの家庭を4か月間担当する継続利用にこだわっている。
「実は事業を開始した当初は、単発利用でした。すると利用家庭のほとんどが月1回程度、本当に困ったときにしか利用せず、それでは子どももなつかず、学生もインターン体験から学べることが少ないことに気づきました。現在は月6回、4か月単位での継続利用を原則とすることで、学生と子ども、両親との信頼関係や絆が深まり、疑似家族のような関係性が築けるようになりました」
ベビーシッターを利用していたときは「ママはいつ帰ってくるの?」と口にしていた子どもが、このプログラムでは「お姉ちゃん、次はいつ遊びにくるの?」に変わったという利用者の声をよく聞くという。
料金は受け入れ家庭が月3万円(交通費込み)をスリールに支払う。スリールから学生には交通費のみを支給し、金銭的報酬はない。その代わり、キャリア勉強会や、全受け入れ家庭と交流できるイベントなどを定期的に開催し、学生が成長を実感できる機会を提供している。
プログラムを開始した2010年から現在までに参加した学生はのべ280人。1割は男子学生だ。受け入れ家庭は述べ70軒で、口コミで増え続け、常に順番待ちの状態だという。
堀江さんはどのようにして、このユニークな事業を思いついたのだろう。
小学生の頃から小さい子どもが好きで、進んで近所の子どもの世話をし、大学時代のアルバイトを含めると100人以上のベビーシッターを経験してきた。大学3年生のとき、女性起業家のもとで長期間、育児のサポートをしたことが、事業の原点となった。
「よく泣くお子さんで、一日中抱っこをしながら片手でミルクを作らなければいけないなど、壮絶な母親体験でした。自分は週数日だからできるけれど、365日一人きりで子育てをしたら、子どもに愛情が注げないときもあるのではないかと思いました。それよりも、保育士さん、祖父母、近所の人など、いろんな大人に100%ずつ愛されるほうが、子どもにとって幸せなのではないかと感じました。社会で子育てをシェアする重要性に気づいたのです」
また、そのとき初めて、将来、仕事と子育てを両立する生活がイメージできたという。「母親が専業主婦だったので、両立する自信がなかったのです。起業家という働き方にも触れることができ、社会への視野が広がりました」
大学卒業後、IT系ベンチャー企業に就職。そこで目にしたのは、ハードに仕事をこなすことが求められる職場で、定時までしか勤務できず評価を落とされるワーキングマザーや、両立を諦めて立ち去る先輩女性の姿だった。
「働きやすい職場環境に変えたいと思い、同期50人に声を掛けました。みんな、いいね!と応援してくれましたが、誰一人一緒に改善しようとはしてくれませんでした。愕然(がくぜん)としました。出産や子育ては他人事ではなく、自分たちの少し先の未来です。少し先の未来のために行動する人を増やさなければ、社会は変わらないと痛感しました」
自分に何ができるのか考え詰めていたときに浮かんだのが、「ワーク&ライフ インターン」の仕組みだった。これまでの経験と思いのすべてが凝縮したこのアイデアを事業化するため、2010年に退職し、同年、スリール株式会社を立ち上げた。
4か月間のインターンが終わると、学生は大きく変化するという。
「例えば子どもと一緒に歩くと、道の歩きにくさに気付くなど、社会への視点が広がります。自分も子どものときにこんなふうに手をかけてもらったのかと、親に感謝できるようになったという学生もいます。また、ワーキングマザーは決してスーパーウーマンではなく、いろんな人の手を借りながら奮闘している。その姿を見て、自分にもできそうだと自信がつき、一般職を希望していた学生が、総合職の営業に志望を変えたケースもあります」
少子化や核家族化が進む中、「世の中には“親になるための教育”が足りない」と堀江さん。今後は、企業や行政と連携して、このモデルを企業や学校、地域にも広げていきたいと語る。
(NPO法人ETIC. 吉楽美奈子)
(※)2014年7月実施マイナビ学生就職モニター調査から。2015年卒業予定の全国大学4年生及び院2年生対象、女子学生576人回答
ラッピングペーパーや包装紙を仕事でたくさん使う私は、キッチンで使うラップの芯や、トイレットペーパーの芯を使って整理しています。ラッピングペーパーや包装紙を細く丸めて芯に差し込み、丸めた紙の真ん中に芯を寄せておくと、折り目やしわがつかずに保管できます。また、丸めた時の太さも均一になるので、何本か並べても見た目はすっきり。
私は、ゴミ箱を使った専用の収納箱を作って、ラッピングペーパーを何本も立てかけて保管していますが、部屋のインテリアの一つになってくれています。
「トイレットペーパーをそのまま使うのは……」と気になるなら、芯に色紙を巻けば、専用のホルダーのように見えますよ。さらに、芯に「設計図」「見取り図」などと書いておけば、紙を広げなくても中身がわかり、仕事もスムーズに進むでしょう。(雑貨デザイナー 宇田川一美、写真とイラストも)
起業して働く女性の姿が目立っている。
好きなことを仕事にできるうえ、働く時間や場所を自分で決められ、育児や家事と両立しやすいためだ。行政の支援策も充実し、始めやすい環境が整ってきた。
「子どもが学校にいる間や寝た後に仕事ができて、今の働き方は便利」と笑顔で話すのは、まるやまいずみさん(46)。コンサートのチラシなどを制作する「デザイン工房まある」を、昨年4月、さいたま市で起業した。チラシの色を曲のイメージに合わせるなど丁寧な仕事が評判だ。
大手メーカーでデザインを覚えたが、2003年に結婚退職。その後、趣味の合唱仲間の依頼でチラシを作り始めた。「音楽もデザインも好きな自分に合った仕事」と、起業を考えた。その際、世話になったのが、埼玉県がJRさいたま新都心駅近くに設けた女性起業支援ルーム「COCOオフィス」。月5140円で、室内の机を借りて作業したり、中小企業診断士らから助言をもらえたりする。
まるやまさんは起業前、「チラシ作りでお金をもらうのは申し訳ない」という思いもあった。だが、「事業の継続には利益が必要」と教えられ、代金をきちんと受け取る気になった。
埼玉県は12年、女性が働きやすい環境を作る専門部署として「ウーマノミクス課」を設置。就業支援の一環として起業支援にも力を入れ、COCOオフィスや女性起業家向け融資制度などを用意した。
自治体が女性の起業を手助けする動きが目立つ。横浜市は昨年10月、JR・横浜市営地下鉄戸塚駅構内に「クレアズマーケット」という商業スペースを新設。女性限定で、10平方メートルを月2万5000円で貸す。「自分の商品が売り物になるか、事前に見極めたいという女性の声に応えた」と同市経営・創業支援課。
現在は3店が営業。うち1店が、生花そっくりの高級造花を並べた「フラワースタジオ ボヌール」だ。代表の桜井ひろみさんは、昔からフラワーアレンジメントが好きで、「いつか自分の店を」と考えていた。昨年7月、百貨店内の造花店を退職。独立に向け、ここでの店舗運営を選んだ。「お客様と話して、どのような花が求められているのかわかってきた。店を開く参考にしたい」と意気込む。
起業を考える女性の「起業した先輩の話を聞きたい」というニーズに対応したのは、千葉県市川市。今年度から、起業を目指す女性と女性起業家との交流会を毎月1回開いている。
兵庫県は13年、起業する女性に、事業を始める資金として100万円を上限に補助する制度を作った。
国も昨年10月、女性が仕事や子育てしやすい社会を作るための施策集「すべての女性が輝く政策パッケージ」に、「起業の機会を拡大するための環境整備」を盛り込んだ。今後、具体的な起業支援策を検討する。
専修大教授の鹿住倫世(かずみともよ)さん(企業家活動論)は、「仕事を管理する経験が乏しかったり、出産や育児で仕事から離れるブランクがあったりと、男性とは違うキャリアの女性は少なくない。起業にはよりきめ細かい支援が必要だ」と指摘。また、「子どもを預けて働けるように、起業家向けの貸しオフィスの近くに保育所を作るなど、自治体ならではの支援策も求められている」と話している。
どうすれば起業の第一歩を踏み出せるだろうか。
女性の起業を支援する「WWB/ジャパン」(東京)代表の奥谷京子さんは、「好きだから続けられると思えるように、とことん好きな分野で起業することが何より大切」と助言する。
何をやるかが決まれば、次は行動。起業家や経営者との交流会が各地で開かれているので、積極的に参加し、ビジネスプランや協力してもらいたいことを話してみよう。助言を受けたり、人を紹介してもらえたりすることもある。「WWB/ジャパン」も24、25日、交流会を都内で開く。
資金面の準備も大事。成功するとは限らないため、初期投資の金額は抑える。自分の事業をフェイスブックなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログで発信すると、ファンができたり、口コミで広がったりする効果が期待できる。
奥谷さんは「常に100%以上の力を出し、事業のことを24時間考えないといけないのが起業。それでも喜びを感じられるなら、起業に向いている」と話す。(吉田尚大)