社会そのほか速
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状態が上がらずミニキャンプを張っていた巨人・菅野智之投手(25)が12日、ソフトバンクとのオープン戦(ヤフオクドーム)に中11日で先発。及第点の投球で開幕投手の座を確実にした。
5回64球を投げて被安打は松中に浴びた2ランの1本のみで2失点。降板後の右腕は「前回よりはよかったと思う。やっと自分の持ち味の制球、キレが戻りつつある」と胸をなで下ろした。
前回登板の2月28日・ヤクルト戦(東京ドーム)では、速球が140キロ前後で3回6安打3失点。開幕戦の先発に暗雲が垂れ込めた。そのため調整登板の計画を白紙に戻し、遠投やシャドーピッチングをこなした。
「これならいけるという感覚を得ることができた」。満を持したこの日の復帰登板では最速146キロを計測。斎藤投手コーチは「(開幕投手に)一番近いでしょう。間違いないでしょう。あの(ヤクルト戦の)まんまじゃさすがに俺も推せない。今日みたいな投球なら推薦できる」と太鼓判を押した。
ただ2年連続の大役拝命は、実績あるライバルたちが次々にこけた“消去法”の側面もある。内海は球団から「左前腕部に炎症があるため2軍で調整する」と発表され、開幕ローテ入りは絶望的。杉内も先発予定だった6日・オリックス戦(京セラドーム)を寝違えで回避し、いまだオープン戦登板なしの異常事態だ。
菅野も調整遅れは否めず、この日の球数は64球止まり。27日の開幕戦まで残された登板機会は1回だけ。斎藤コーチも「(開幕戦で)万全というのは難しい。完投もできますという(段階)には、ぶっちゃけ間に合わない」と説明する。シーズン序盤からエースとして、大車輪の活躍を望むのは酷のようだ。
昨季はシーズン200投球回を目標に掲げ、中5日でも140球を費やして完投するなどイニング数にこだわった。その結果、右肘痛などで2度の故障離脱を味わった。今季は「1年を通して投げること」を命題としているが、先発のコマ不足が現実となりつつある中で、原監督は甥っ子に春先から無理をさせない“思いやり運転”を指示できるだろうか。 (笹森倫)2015/3/14 16:56 更新
【お金は知っている】お札の発券銀行である中央銀行制度は砲声とともに始まった。世界初の中央銀行は1694年に民間資本としてロンドンに創立されたイングランド銀行である。同行はフランスとの戦争費用を調達して政府に融資するのと引き換えに、金銀の裏付けのない紙幣発行の独占権を得た。
米国では1861年、南北戦争が勃発。リンカーン大統領は62年に「永続的な通貨発行制度」と宣言して政府紙幣「グリーンバック(緑背紙幣)」を発行し、戦費を調達した。
政府紙幣だと、政府は国債発行せずとも、財源を確保できるのだが、英国などの国際金融資本が強く反発した。国債を売り買いすることでもうける機会が失われるからだ。リンカーンが暗殺されたあと、米国でグリーンバックは徐々に廃され、英国をモデルとした民間金融界出資の中央銀行システム「連邦準備制度」が1913年に設立された。
米国では政府が直接、通貨を発行することのメリットを評価する声はいまなお、根強い。政治権力者にとっては、政府が直接、通貨発行権を掌握できれば、ウォール街から自由になれる。
中国の通貨、人民元制度は実は、中央銀行制度と政府紙幣発行制度の両側面を兼ね備えている。大国としては比類ない、いいとこどりである。
詳しく言うと、発券銀行である中国人民銀行は軍と行政府同様、党の支配下に置かれている。人民銀行から資金供給を受ける国有商業銀行も党支配下にある。つまり、人民銀行を中心とする金融システム全体が党によってコントロールされる。通貨の発行と配分権は党指導者が保有しているのだから、人民元はその本質において、政府紙幣である。見かけは日米欧のような中央銀行制度をとっているのだから、人民元はグリーンバックのように国際金融資本から憎まれることもない。世界の大手金融機関は人民元業務を新たな収益源にしようと躍起になっている。
中国が2008年9月のリーマン・ショックから世界で最も早く立ち直った秘密はこの人民元制度にある。当時の胡錦濤総書記・国家主席は人民銀行に人民元資金の国有商業銀行への大量供給を命じ、商業銀行は前年比で2・3倍も融資を増やさせた。
あとから見ると、乱開発、不動産バブルと代償は大きいが、ともあれ投資ブームが起き、経済は09年に2ケタ成長に舞い戻り、10年には国内総生産(GDP)規模で日本を抜き去った。もっと恐るべき事実がある。
人民元資金供給こそは中国の軍拡の原動力だ。グラフを見ればよい。リーマン後、人民銀行による人民元資金供給量がドル換算で1兆ドル増えるごとに、軍事費は約500億ドル増えている。中国は米国の量的緩和政策に伴うドル資金増加量に見合う分、通貨を膨張させてきた。それに合わせて軍事にカネをつぎ込んだのだ。毛沢東は「銃口から権力が生まれる」と言ったが、カネから銃口が生まれる。 (産経新聞特別記者・田村秀男)
大リーグ、レンジャーズは13日、右肘の内側側副靱帯(じんたい)を損傷したダルビッシュ有投手(28)が17日にフロリダ州の病院で通称トミー・ジョン手術(靱帯修復手術)を受けると発表した。一般的に復帰まで1年以上を要するため、今季中の登板は絶望となった。
5日の今オープン戦初登板で右上腕に張りを訴え、6日に精密検査を受けて靱帯に損傷が見つかった。複数の医師の見解を求めた上で手術を選択し、同僚の藤川球児、レッドソックスの田沢純一両投手らを執刀したジェームズ・アンドルーズ医師が手術を担当する。
アリゾナ州のキャンプ地で会見したダルビッシュは、当初は部分断裂と発表されたが「すり減っている状況で、切れてない」と説明。「暗い気持ちはまったくない。むしろ肘が良くなっていくんだと思うし、できることがたくさんある」と話した。
レンジャーズのダニエルズ・ゼネラルマネジャーは「来年5月までに戦列に戻ってきてくれれば」と語った。2015/3/14 16:56 更新
楽天のドラフト1位・安楽智大投手(18)=済美高=が12日、春季教育リーグ・ヤクルト戦(戸田)で実戦初登板。1回を無安打無失点に抑え、上々の“プロデビュー”を飾った。
8回から4番手で登場。最速146キロの直球とスライダーを軸に、ヤクルトの若手打者を三者凡退。2三振も奪った。
「緊張もなく、普段通り投げられた。もう少し直球の走りがよければ楽な投球ができたはず。少し力んでしまった」
そう振り返ったルーキーは、2月の沖縄・久米島キャンプでは制球もままならず、酒井2軍監督から「練習生」と酷評された。それでも「打者相手じゃないとアドレナリンが出ない。自分は実戦で投げないと良さが出ない」と公言。その通りといえる結果に酒井監督は「試合の中で対戦を重ねていけば、いい方向にいってくれそうだね」とたたえた。
だが、安楽の有言実行は、新たな火種を呼びそうだ。「早く1軍に上がれるようにアピールしたい」と意気込むが、この日の投球内容を聞いた大久保監督は「今年は(1軍は)100%ないといえる」と明言。今季を2軍での育成に充てる方針だ。
「新人王と2ケタ勝利」を目標に掲げる右腕と指揮官の見解はまさに真逆。球団関係者は「安楽は結果でアピールして上にいくことをモチベーションにしている。気持ちが萎えないか心配だよ」と心配顔だ。
技術面に関してもズレがある。杉山2軍投手コーチは「(高校)2年生のときのフォームを思い出してくれればいい」と自己最速の157キロをマークした際のフォームを理想としているが、安楽は「2年のときが一番だとは思わない。体も成長していますし、自分としては戻したところは1つもない」と否定的だ。
持ち前の反骨心があつれきを生まなければいいが…。 (片岡将)2015/3/14 16:56 更新
サウサンプトンに所属するDF吉田麻也 [写真]=Getty Images
イギリス紙『インデペンデント』が13日、サウサンプトンに所属する日本代表DF吉田麻也のロングインタビューを掲載した。
吉田は、2012年にVVVフェンロからサウサンプトンへ加入。プレミアリーグで初めてピッチに立ったのは、途中出場したアーセナル戦だった。吉田は「とても難しいデビュー戦で、結果も恐ろしいものだった。でも、良い経験だったと思います」と、6失点で敗れたデビュー戦の苦い思い出を語った。
今回のインタビューはすべて英語で実施。サウサンプトンに来てから約2年半が経過した吉田は、語学力が自身の可能性を広げると話す。
「最初は英語が完璧ではなかった」という吉田は、「オランダにいたとき、彼らは簡単な英語を話すので、僕にとってはいいステップになったと思っています。ただ、サウサンプトンに来ると、みんながとても早口で。もしリッキー・ランバートと話していても、完全に理解することはできなかったと思います。でも2年半が経って、僕はより理解できるようになったし、より快適に過ごせるようになった」とコメント。英語の上達が、チームメイトとのコミュニケーションや、イングランドでの生活を助けたと明かした。
そして「日本人が英語を話すことができないのは、教育の問題です。僕も12歳から高校まで英語を学びました。6年間勉強しても、人々は英語を読むことも話すこともできないんです」と指摘。「英語が話せなければ、チャンスがないのと一緒。それは残念なことで、何人かの日本人選手は怠けている」と自身の見解を示した。
吉田は、1月にサウサンプトンとの契約を2018年まで延長している。新契約締結に喜びを見せると同時に、まだ成功を収めたわけではないと語る。
「僕はプレミアリーグでプレーする日本人選手の先駆者になりたいんです。カップ戦を合わせると3ゴール、これは十分ではない。これからプレミアリーグに挑戦する日本人にとってより高いハードルを作りたい。それに僕の成功は、他の日本人選手のための道しるべになります。僕の成功はアジア人ディフェンダーの成功で、もし成功を収めたならば、イングランドのチームが『日本やアジアのディフェンダーは役に立つ』と思ってくれるはずです。それが自分の仕事だと思っています」
自身が活躍し続けることで、日本人だけではなく、アジア人の評価を高めたいとの決意を述べている。
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