社会そのほか速
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チュニジアの博物館襲撃テロで亡くなった東京都荒川区の成沢万知代さん(66)らと同じクルーズ船に乗っていた観光客が21日、帰国した。成沢さんとは別のオプショナルツアーで事件直前に博物館を訪れた女性は羽田空港で「船に戻って事件を知った。間一髪だった」と眉をひそめた。
また成沢さんの夫も成田空港に到着。沈痛な表情で報道陣から顔を隠すようにうつむき、空港を後にした。
夫婦で乗船した東京都港区の久我徹さん(68)も羽田空港で「襲撃に遭った外国人客が泣き叫びながら船に戻ってきて、みんながパニックになった」と振り返った。
将棋のプロ棋士とコンピューターソフトが5対5で対戦する「電王戦FINAL」の第2局が21日、高知市の高知城追手門であり、永瀬拓矢六段(22)が「Selene(セレネ)」=西海枝(さいかいし)昌彦氏開発=に89手で勝ち、棋士側が2連勝した。ソフトの反則負けとなった。第1局の斎藤慎太郎五段(21)に続き初めて2勝目し、団体戦の勝利へあと1勝とした。第3局は28日、北海道函館市の五稜郭で稲葉陽七段(26)と「やねうら王」が対戦する。
持ち時間各5時間で、永瀬六段が後手番。相居飛車の力戦型で、10手目前後から実戦例がない展開になり、「Selene」は右玉に構えた。永瀬六段は端を破り、反撃されたが鮮やかな寄せを見せて優勢を確立しようとした局面で、ハプニングが起こった。
永瀬六段は、通常角が成るところで、成らずに着手。この手が王手になっていることをソフトが認識できず、王手を受けずに他の手を指してしまったために反則負けと判断し、コンピューターは動作を止めた。永瀬六段は練習で不成への対応が不安定なことを見抜き、成れるところで成らない手を選択したようだ。【山村英樹】
太平洋戦争末期に日米が激戦を繰り広げた硫黄島(東京都小笠原村)で21日、民間団体主催の合同慰霊式が開かれた。両国の遺族や退役軍人、政府関係者ら約550人が出席し、約2万9000人に上る戦没者を悼んだ。日本側からは閣僚として初めて、塩崎恭久厚生労働相と中谷元防衛相が出席した。
日本側の遺族らでつくる「硫黄島協会」の寺本鉄朗会長は「悲惨な争いを再び繰り返さぬよう、後世に語り継ぐ責任と義務がある。今日の平和と繁栄は、尊い犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立つことを忘れてはならない」と追悼の言葉を述べた。
戦闘に参加したラリー・スノードン元米海兵隊中将は「憎しみは友情に変わり、戦争は理解と友情に置き換えられた」とあいさつした。献花と鎮魂歌の演奏が行われ、全員で黙とうをささげた。
出席者は式典後、日本軍が全長18キロにわたって張り巡らせた地下壕や、激戦地となった摺鉢山などを視察。塩崎厚労相は「いかに戦いが激しく、命を落とした人が多かったかを改めて感じた」と述べ、遺骨収集を急ぐ考えを示した。
【ソウル共同】岸田文雄外相は21日、中国の王毅外相と訪問先のソウル市で会談した。沖縄県・尖閣諸島周辺での中国公船の領海侵入を念頭に、偶発的衝突を回避するための仕組み「海上連絡メカニズム」の早期運用開始を要請した。「関係改善の機運を高めなければいけないが、東シナ海ではそれに反する動きがある」と懸念を伝えた。王氏は中国側の立場を説明した。
日中関係をめぐり岸田氏は、昨年11月の首脳会談後、改善に向かっているとの認識を示した。
王氏は、1972年の日中共同声明など「日中間の(国交正常化などの)四つの基本文書を守ることが大切だ」と指摘した。
チュニジアで観光客襲撃テロに巻き込まれたクルーズ旅行に参加した日本人客らが21日夜、帰国した。東京都大田区の羽田空港で取材に応じ、「こんな事件があるなんて」「テロとは無縁と思っていたのに」などと突然の惨事を振り返った。
横浜市の自営業渡辺洋一さん(67)によると、国立バルドー博物館で襲撃されたのは、現地時間18日朝にチュニジアに到着後、夕方の出港までの自由時間に、外国語ガイド付きのバスツアーに参加したグループ。渡辺さんと妻(65)は「何となく」参加を見送り、難を逃れた。
夕方、予定時間になっても船が出港せず、「いつになったら出発するのだろう」と外に目を向けると、装甲車や、パトカーに先導された傷だらけのバスが見えたという。渡辺さんは「クルーズ旅行は9回目だが、こんなことは初めて。どこにいても危険だ」と疲れ切った表情で話した。
埼玉県所沢市の男性会社員(58)によると、日本人観光客は翌日の午前11時、船内の一角に集められた。船側の日本人女性スタッフは口ごもっていたが、客から「事実が知りたい」と詰め寄られ、「3名が亡くなった。行方不明の人もおり、情報が混乱している」と話した。
男性が船内で耳にした話によると、この直前に行われた外国人客向けの説明では、イタリア人客が船長に対し、マイクで「なぜ警備も付けずに危ないところへ行ったのだ」と怒鳴っていたという。
男性は「テロとは無関係と思っていたが、そうではなかった。旅行会社のツアーで信用していたのに」と顔をこわばらせていた。