社会そのほか速
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国が2020年度の初打ち上げを目指して開発する、新しい大型ロケットの基本性能が9日、明らかになった。
静止軌道(高度3万6000キロ・メートル)に打ち上げ可能な衛星の重さを、現在の主力ロケット「H2A」の4・6トンから、6~7トンまで向上させる。製造から打ち上げまでのシステムを効率化し、H2Aの半額の約50億円で打ち上げる。全長は国産ロケットで史上最大の約63メートルとなる。
静止衛星は近年、運用期間を延ばすため大型化する傾向にあり、H2Aでは十分対応できなくなってきた。H2Aを増強したH2Bロケットは、5・5トンの静止衛星まで搭載可能だが、実績が少なく、国際宇宙ステーション(ISS)への補給船「こうのとり」の打ち上げ以外には使われていない。
阪神・淡路大震災の被災者向けに供給された「借り上げ復興住宅」。住み続けたいと願う住民にも今年9月以降、20年の退去期限が順次訪れる。3日に告示された統一地方選挙は、同住宅の問題が議論される絶好の機会だが、候補者から訴えを聞くことは少ない。住民は期待とあきらめの心境の間で揺れている。(高田康夫)
借り上げ復興住宅は、兵庫県と神戸、西宮など5市に、ピーク時で約7千戸あり、2月末現在、4272世帯が暮らす。入居時に行政側が20年後の返還を十分に説明していなかったケースも多い上、自治体ごとに継続入居の条件なども違い、期限が迫る住民らは不安を募らせている。
3月の神戸市議会都市防災委員会。神戸市兵庫区の借り上げ復興住宅で暮らす安田秋成さん(89)は「転居通告が衝撃となり、体調や病気を悪化させて死亡する者が続出している」と議員に訴えた。
継続入居を求める請願を市議会に提出。これまでも陳情を出し続け、委員会での口述は4回目だ。結果は、これまでと同様に「審議未了」で打ち切られ、採択、不採択の結論も出ない状況が続く。「現状を知って判断してくれれば、賛否どちらでも理解はできる。ただ、調べに来てくれる議員はわずか」と嘆き、「暮らしの根底が崩れる問題。市民の生活に向き合ってほしい」と候補者に求めた。
4月、西宮市の借り上げ復興住宅の空き部屋で、内装の改修工事が始まった。退去期限は県内で最も早い今年9月末だ。
「どうするのが一番いいのか」。独り暮らしの女性(76)は悩む。震災前からこの地域で暮らし、働いてきたため知り合いは多い。息子もすぐそばに住んでおり「ここを離れて暮らせば引きこもってしまう」と感じる。
同市から、期限内に退去しない場合は法的措置を取る-との通知も来た。「裁判しても費用は借金。この年齢で返すのは難しい。まして負ければ…。本当に生きているのが申し訳なくなる」
そんな苦境でも、選挙には「あきらめ的な感じ」とし、「誰が議員になっても力が届かないと思う」とつぶやいた。
イギリスにあるリンカーン大学の主任研究員サラ・エリス教授が、猫に関する研究を発表した。それは、猫がどこをなでられるのが好きか?というものである。この研究結果によると、猫には確実に”なでスポット”があるという。
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動物たちは、動物本来の行為を人間にも求めているはずだと考えられてきた。では、猫へ愛情表現したい時は、猫がそうするように、猫をペロペロとなめないとけないのか?
大丈夫、そんなことはない。だがネコ科の動物たちの友好的な行為には体のある特定の部分が関係している。それは、臭線と呼ばれる臭いを出す器官で、口周り(あご、頬)、目と耳の間、そして尻尾の付け根まわりの3カ所にある。
○猫がなでられて喜ぶ場所はアゴ・頬、目と耳の間
この研究では生後6カ月から12歳までの34匹の猫を対象に行われた。実験を開始する前に、実験者は猫になれる時間が与えられた。
テストの対象は、先ほど述べた3カ所(口まわり・目と耳の間・尻尾の付け根)の臭腺部分と、その他の体の5カ所(頭の頂点、首の後ろ、背中の上部、背中の中部、胸と喉)の計8カ所である。条件を一定にするため、体をなでる順番はランダム、なでるときは二本指で各部分を15秒間だけ、とルールを設定した。また、猫はいつでもその場を去ることができる。
実験者の手がしっぽに近づくにつれ、否定的な行動が目立った。つまり、しっぽの近くは人間になでられるのはあまり好きじゃないのだ。
第二の実験では、20匹の猫が使われ、飼い主が決められた順番通りに猫をなでた。ひとつは頭から背中を経てしっぽへ、もうひとつは反対の順番だ。この実験に関しては、なで方は特定していない。二本指でも手のひらでも好きなようになでてもらった。そうすると、逃げた猫は3匹のみになった。この実験でも、なでる順番に関わらず、猫はしっぽの近くを触れられるのを嫌がった。
これらの実験から、飼い主はしっぽの付け根周辺を触るべきではないということがわかった。その代わりに、顔や顎、目と耳の間をなでると猫はとても喜ぶようだ。
カラパイア
ブログ「カラパイア」では、地球上に存在するもの、地球外に存在するかもしれないものの生態を、「みんな みんな 生きているんだ ともだちなんだ」目線で観察している。この世の森羅万象、全てがネイチャーのなすがままに、運命で定められた自然淘汰のその日まで、毎日どこかで繰り広げられている、人間を含めたいろんな生物の所業、地球上に起きていること、宇宙で起きていることなどを、動画や画像、ニュースやネタを通して紹介している。
(カラパイア)
1日に心不全のため80歳で亡くなったラーメン店「大勝軒」の創業者山岸一雄(やまぎし・かずお)さんの通夜が7日、東京・護国寺でしめやかに営まれた。弟子や常連客ら約600人が参列した。
【写真】祭壇に飾られた「大勝軒」創業者、山岸一雄さんの遺影
境内には全国のラーメン店や系列店などから届いた50本以上ののぼりが立てられた。山岸さんの故郷長野のラーメン店や大勝軒関係者らが考案し、全国のラーメン店に賛同を募った。「ラーメンの神様」として愛された山岸さんらしい“ラーメン葬”となった。
参列者への香典返しには大勝軒のカップラーメンが配られた。「東池袋大勝軒」の2代目店主飯野敏彦氏によると、知人への贈り物が好きだった山岸さんが最期に「皆さんにカップラーメンを贈ってほしい」と話していたことから、実現させた。
14年前から家族ぐるみで付き合いのあったタレントの勝俣州和(50)は参列後「人に笑顔になってもらうためにラーメンを作る人だった」としのんだ。関係者によると、「東池袋大勝軒」など直営5店舗はこの日と8日の葬儀・告別式を臨時休店にした。
昨年8月に横浜市の認知症の男性(当時83歳)が行方不明になり、東京都中野区で倒れているのを発見されたが、駆け付けた消防や警察は救急搬送や保護をせず、2日後に死亡していたことが分かった。消防は「男性が搬送を辞退した」として現場を離れ、警察は「受け答えがしっかりしていて認知症の人とは思わなかった」という。認知症に詳しい専門家は「再発防止のため協議を」と呼び掛けている。
【男性の家族の思い】「何度も助ける機会あったのに…」
警視庁や家族によると、男性は2014年8月19日夕、横浜市鶴見区のデイサービス施設から行方不明になり、家族は同日夜、神奈川県警に届け出た。
21日午前10時20分ごろ、JR中野駅近くの路上で男性が倒れているのが見つかり、東京消防庁中野消防署の救急隊が先着、警視庁中野署の駅前交番の警察官も駆け付けた。男性はのどの渇きを訴え37.6度の発熱があったが、搬送を拒んだという。救急隊は「搬送の必要性を認めたが傷病者(男性)が辞退」との項目にチェックを入れた不搬送の同意書に、男性に署名させて現場を離れた。
一方、警察官に対して男性は氏名を答え、住所は話さず、生年月日は「昭和26年2月26日」(実際は昭和6年2月4日)と答えたという。警察官は男性に水を飲ませ、「休憩できる安全な場所」と考えて約300メートル東側にある紅葉山公園に連れて行き、ベンチに座らせ、現場を離れた。
ところが21日午後10時過ぎ、「男が公園で寝込んでいる」との通報があり、午前のやり取りを知らない同交番の警察官が駆け付けると、この男性が公園トイレの床で寝ていた。警察官が救急車を呼ぶかと尋ねると「大丈夫」と答え、「家はないんですか」と聞くとうなずいた。名前と生年月日の問いにも「大丈夫」を繰り返し、後に分かるが実際とは1字だけ違う氏名を答え、この時も警察官はそのまま現場を離れた。
男性は23日朝、トイレ脇の地面で死亡しているのが見つかった。解剖の結果、死因は脱水症と低栄養状態の疑い。身元不明遺体として扱われ、家族が今年2月、警視庁のホームページで持ち物や特徴が一致する遺体情報を見つけ、ようやく身元が判明した。男性は最初の発見時に正確な氏名を答えていたが、警察はこの時、身元照会をせず、死亡後も家族が見つけるまで身元を特定できなかった。
警察庁は2カ月前の昨年6月、認知症の行方不明者の早期発見や保護に努めるよう通達したばかり。保護や身元照会をしなかったことについて警視庁は「外傷や自傷他害の恐れもない」「受け答えがしっかりし不審点も認められない」などと判断したと説明。21日午前は「一時的に気分を悪くして横になった近所の人」、夜は「最近ホームレスになった人」と推測し、認知症と考えなかったという。
警視庁地域部は「謹んでお悔やみ申し上げます。速やかに身元確認できなかったことは誠に残念です。警察官の取り扱いは必ずしも適正を欠くところがあったとは言い難いと思っていますが、今後に生かしたい」と話した。一方、中野消防署にも遺族の同意を得て取材を申し込んだが、同署は「個人情報保護条例があり、第三者に話せない」として一切、応じていない。【銭場裕司、山田泰蔵】
◇認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子研究部長の話
救えるチャンスが幾重もあり残念でならない。当時の最高気温は連日35度に近く、発熱もあった。本人からは救急隊や警察官はどう見えていたのか。声かけや目線の位置、質問の仕方は本人が助けてと言いやすい対応だったのか。専門職や地域の人たちとは連携できなかったのか。この事案から具体的に学び、再発を防ぐためにそれぞれの地域で何ができるかを話し合うべきだ。
◇死亡した認知症男性を巡る経過(家族や警視庁などへの取材に基づく)
【2014年】
8月19日夕 横浜市鶴見区のデイサービス施設から行方不明になる。家族が夜、神奈川県警に届け出る
21日午前 東京都中野区の中野駅近くの路上で倒れているのを発見され、119番通報。救急搬送を断り、不搬送の同意書に署名。警察官も保護や身元照会をせず、水を飲ませた後、約300メートル東側の紅葉山公園に連れて行く(1)
同日夜 同公園で「男が寝込んでいる」と110番通報。警察官が公園のトイレの床で寝ている男性を見つけ、救急車を呼ぶか尋ねると、手を挙げて「大丈夫」と断る。警察官はこの時も保護や身元照会を行わず(2)
23日朝 再び110番通報があり、同公園トイレ脇で死亡しているのが見つかる。身元が分かる物などがなく、身元不明遺体として取り扱われる
9月下旬~10月上旬 身元を調べていた警視庁中野署の担当者が(1)(2)のやり取りを把握し(1)で男性が答えていた正確な氏名も認識するが、それ以降も、家族が届け出ていた行方不明者届と一致できず
12月19日 身元不明のまま火葬される
【2015年】
1月15日 身元不明遺体として男性の所持品や服装などの情報を警視庁がホームページに掲載
2月上旬 家族が警視庁ホームページで男性と思われる身元不明遺体を見つけ、同庁に申し出る
27日 DNA鑑定で遺体は男性本人と確定
3月1日 家族が遺骨を引き取る