社会そのほか速
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富山大は、立山連峰から富山湾の深海まで高低差のある地形や県内に集積するアルミ産業など、地元の特徴を生かした理工系新学部「システムデザイン学部」(仮称)の開設を検討している。
同大は2016年度からの新学部設置を目指し、文部科学省と調整している。
同大によると、新学部は、現在の理学部地球科学科を「地球システム科学科」、工学部材料機能工学科を「マテリアルデザイン学科」の名称でそれぞれ編入するほか、新たに「都市デザイン学科」を新設する。学部・学科名は現時点でいずれも仮称だが、定員は計150人とする計画だ。
地球システム科学科は、3000メートル級の立山連峰から富山湾の深海まで、高度差4000メートルの多様な環境に恵まれている県内の“地の利”を生かし、自然環境や災害規模の予測に関する調査や研究を行う。
マテリアルデザイン学科は、県内に集積するアルミ産業と連携して、世界トップレベルの素材研究や人材育成を行う。
新設する都市デザイン学科では、路面電車など公共交通を活用した「コンパクトシティー」を掲げている富山市にキャンパスを構えていることを踏まえ、環境に優しく、災害に強い街づくりをデザインできるリーダー的人材を育成し、地域貢献につなげたい考えだ。
新学部では、いずれの学科の学生も、他の2学科に関する科目も履修するカリキュラムを組む予定だ。
国立大学法人である同大が、新学部を開設するためには、同大で決定後、文科省に申請し、「大学設置・学校法人審議会」の審査を受ける必要がある。新学部の開設時期について、同大は「早ければ16年度の新学部開設を目指して努力する」と説明しているが、今後の文科省との調整によっては、時期が17年度以降にずれ込む可能性もある。
新学部開設に取り組む同大の堀田裕弘・工学部長は「新学部は、地域創生や安全・安心都市の創出を目指した教育や研究を行う計画であり、ぜひ実現したい」と話している。
宮城県気仙沼市は10日、「気仙沼コールセンター」の事業が、東京のIT関連企業「TOUA」の子会社に譲渡されたと発表した。
従業員22人のうち、希望者をこの子会社が引き継ぐ。大江真弘副市長は「地元従業員の雇用が守られた」と話した。
発表によると、事業譲渡は今月1日付で、金額は非公表。名称は「TOUAテレマーケティング気仙沼」となる。TOUA社は「地元特産品の電話販売などで地域経済にも貢献したい」とコメントした。
事業譲渡により、市が同コールセンターに委託していた国の緊急雇用創出事業が終了する。市は2014年度の委託金として3300万円を前払いしており、今後、過払い分の返還を同コールセンターに求める。
「男社会」といわれる伝統工芸の世界で、女性職人が増えている。
手に職をつけたい若い世代の増加や、女性の弟子入りへの門戸の広がりが背景にある。後継者不足や需要の低迷に悩む業界で、女性の活躍が期待されている。
1月上旬、佐賀県有田町内の工房。有田焼のろくろ師、白須美紀子さん(36)が、電動ろくろを回し次々とご飯茶わんの形を作り出す。「同じ物を幾つも作れるのが職人です」と淡々と話す。
白須さんは2013年、有田焼のろくろ部門で、女性初の伝統工芸士に認定された。活躍が期待される女性を表彰する、内閣府の14年度「女性のチャレンジ賞」にも選ばれた。
「ものづくりをする人生を送りたい」と職人を志した。女性を採用する工房が少ない中、現代の名工に選ばれたろくろ師の矢鋪與左衛門(やしきよざえもん)さんに出会い、22歳で弟子入りした。
白須さんは身長1メートル47。茶わんは座って作れるが、花瓶などの大きな器を作る際は、男性と違い、立っての作業になる。土をこねるのにもかなりの力がいる。白須さんは「大変と思ったことはない」と話すが、矢鋪さんは「私のまねだけでは習得できない。努力と工夫をした」と評価する。
白須さんは「将来は独立し、絵付けの技も磨き、食事が楽しくなる食器を作っていきたい」と夢を語る。
伝統的工芸品産業振興協会によると、伝統工芸士の総数が04年の4618人から13年の4280人に減る中で、女性は505人から602人に増えた。同協会の指田京子さんは、「手に職をつけたい女性が増えた。自分で創造する仕事に憧れもあるようだ」と見る。
後継者不足の影響を指摘するのは、「伝統工芸を継ぐ女たち」(学芸書林)著者の関根由子さん。「男性のなり手が減り、女性を育成する動きが広がった」
独自性が評価され、活躍する女性職人も出てきた。
東京染小紋の職人、岩下江美佳さん(41)は07年、この分野で女性初の伝統工芸士に認定された。08年に独立、メーカーと共にブランド「粋凛香(すいりんか)」を設立した。
江戸時代に武士の裃(かみしも)として普及したのが始まりとされる東京染小紋は、職人が生地の上に型紙を置き、へらでのりを延ばして模様を付ける。
着物でよく外出する岩下さんは、着る側の視点をいかし、着こなしの幅が広がるようにと、花火にも菊にも見えるような型紙の模様を考案した。こうした独自のデザインに女性の支持が高い。「伝統の技は受け継ぎつつ、新しいデザインに挑戦したい」と意気込む。
経済産業省によると、国が指定する伝統工芸品の生産額は、12年で約1040億円。1983年の5分の1だ。同省日用品室・伝統的工芸品産業室は「女性職人は、ものの使い手としての感性も持つ点が強みになる。若い世代や他国の人に好まれる作品づくりが期待されている」と話す。
女性職人は増えたが、全体ではまだ少ない。女性職人としての働き方などを気軽に相談できる相手もなく、どんな商品やデザインが市場で求められているのかもわからず、一人で悩む人もいる。
悩みに応えようと、伝統的工芸品産業振興協会は2004年から年1回、40代以下の女性職人の展示会を東京都内で開いている。13年からは、女性職人が仕事への思いを語るトークショーも行う。「女性職人同士が分野を超えて交流したり、来場者などと話すことで自分の作品の評価を確認したりできる場にもなる」と同協会の担当者。
昨年10月に参加した石川県加賀市の山中漆器職人、山田真子さん(35)は「他の職人の感性に触れ、刺激を受けた。若い女性が私の器を『カフェオレボウルにしたい』と買ってくれたのも、自分の作品への自信になった」と喜ぶ。(矢子奈穂)
教育をめぐる環境について深く思索した同書は、ある意味、教育関係者には刺激が強すぎるかもしれない。諏訪さんに、いま「教育」の何が問題なのかを、3回シリーズで聞いた。
――まず1章で、いわゆる教育学者と現場の教師との意識の乖離(かいり)について触れていますが……。
「教育学者の言っていること、書いていることは正しいのだと思います。間違った理論というのは、普通ありません。ただ、それが実際の現場、つまり学校および教師と生徒の間の問題として捉えると、違うものに変質することをかねがね感じています。
その点に関して、この本では『教師の本質は、理論と現場の中間にある』と説明しました。教師の本質は、決して理論だけでは説明できない。理論は現実ではないからです。
ところが学者は、理論で押し通そうとする。かつてイギリスの著名な学者と対談した際に、途中で相手が急に怒り出して席を立ったことがあります。2000年前後のことです。彼は文部科学省や日教組の統計資料を元に『教師の生徒に対する体罰は増えている』と言うのです。一方、私は1964年(昭和39年)に教師として着任しましたが、80年代の半ば以降は世間的に『体罰は許されない』という風潮が強くなり、また生徒も体罰を受け入れないようになり、体罰はできなくなっていることを体験しています。教師の実感として、むしろ減っています。それなのに、その教育学者は『増えていると認めないなら議論はできない』と言うのです。私の立場ですと、統計よりも現場で見聞きしたことに確信を持ちます」
――80年代を境に「教師の権威が失墜し、指導力が衰えた」と指摘されています。その原因は?
「これまでの著書でも書きましたし、教育の関係者なら自明なことなので、あえてこの本では詳しく書きませんでした。つまり社会構造が変わり、日本人が自立したからなのです。私は1941年(昭和16年)生まれでして、子どものころは親や教師の言うことは絶対で、言うことをきかないという選択肢などありませんでした。そうした状態が戦後もしばらく続いたのですが、60年ごろを境に変わってきた。テレビとお金が家庭に入ってくることで、情報も直接子どもに届くようになり、個人の自立を促したのです。
私のくくりでは、60年ごろまでは前近代的な農業社会で、それから75年ぐらいまでがちょうど高度成長時代と重なる産業社会的近代、それ以降は超近代、ポストモダンなどといろいろな呼び方がありますが、消費社会化した近代だととらえています。70年代の半ばを境に、日本の構造そのものが変わった。人間、市民が自立し始め、共同的なしきり、共同体的な上下関係が無視されるようになり、それにともない親や教師、その他あらゆる権威が失墜し始めたのです。そして80年代になって教師に対する中学生の暴力、校内暴力が始まり、学校そのものの権威が失墜し、システムとして機能しにくくなったのです」
――先進国と呼ばれる欧米諸国でも同じような状況なのでしょうか。
「そうとは言えないと思います。最近のアメリカ映画を見ていると、たとえ子どもが叱られて早く寝るように言われたり、一定期間の外出禁止を命じられても、不平は口にしますが、ちゃんと親の指示に従う場面をよく見かけます。やはり宗教的なバックボーンとしてキリスト教があるからだと思います。
欧米のキリスト教国の場合、学校では教科だけを教えていて、生活指導はしていません。もし生活面での指導が必要になった時は、専門のカウンセラーか、校長もしくは教頭がそれを担当します。教師は、生徒の人格育成には関わらないのです。欧米ではその方面は教会の役割で、影響力は以前よりは衰えたとはいえ、やはりキリスト教的な感性というのが社会に根強く残っています。
一方、日本の場合は、昔から神道的なものなり、仏教的なものがあるとしても、キリスト教ほど絶対的なものではありません。ですから、明治維新以降、欧米の学校システムを取り入れた時に、教科とともに生活指導も引き受けざるを得なかったのです。そこが欧米と大きく違います。一般に学者は、欧米の教育学をそのまま取り入れ、横文字を縦に変えてやっているだけだから、日本の実情とはかけ離れていることが多いです」
(続く、聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)