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2013年度に広島平和記念資料館(中区)に寄贈された被爆者の遺品などを展示する「新着資料展」が18日、同館で始まった。12月2日まで。無料。
48人から寄贈された1003点のうち、医師の当時の診療記録や焼け跡から見つかった懐中時計、米兵が終戦後間もなく撮影した広島市内の写真など、75点が並んでいる。
建物疎開中に爆心地から600メートルで被爆し、2日後に亡くなった県立広島第二中1年の慶徳清さん(当時13歳)が持っていた布製かばんは、母親が翌日、帰らぬ清さんを心配して市内を捜し回ったことや、後に「42年経った今日でも泣かない日はございません 可愛い清よ」とノートにつづったことなどと合わせて展示されている。
同館は「家族愛は普遍的なもの。遺影や家族の思いを知り、二度とあってはならないことだと理解してもらえれば」としている。
観光客を地元の食材を使った料理でもてなそうと、内子町は18日、町内の飲食店主らが考案したメニューの試食会「“内子うまいもん”お披露目会」を同町平岡の五十崎自治センターで開いた。
町によると、古い町並みなどがある町には年間約100万人が訪れる。町は観光客に喜んでもらおうと、昨年11月から飲食店主や民宿経営者らに、講師を招いて献立や味付けなどを学んでもらっていた。
会場には、「内子豚」を使ったしゃぶしゃぶ「朝霧鍋」や、小麦粉の代わりにもち麦の粉を使った「もち麦サラダうどん」など29品目が出品された。
招かれた旅行代理店関係者や大学生ら約80人が試食した。松山大2年の近藤由希子さん(20)は「どれもおいしく、町の良さを再発見できた」と笑顔。レストランを併設する「内子フレッシュパークからり」の大本茂樹社長(65)は「試食会の意見を参考に、独自の献立でお客様に満足してもらうようにしたい」と話した。
本州から来た大切な人を寿司(すし)屋でもてなしたい時、困るのは日曜日に休む店が多いこと。そんな時に覚えておきたいのが、知る人ぞ知る「鮨一(すしかず)」。中心街から離れた北区にありながら、日曜も昼・夜ともに営業し、ネタの良さに定評がある。
店主の内田一行さん(53)は、旭川出身。寿司屋を営む親せきが6人もいた環境のせいか、高校卒業後、迷わず寿司職人の道へ進む。老舗の「東寿し」「すし善」で修業を重ね、独立したのは、1990年のこと。今の店のはす向かいにあった空き店舗で店をスタートして15年、現在地へ移転して8年になる。
店内に足を踏み入れるとまず目に入るのが、珍しい勾配のつけられた白木(ヒノキ)のカウンター。その上に浅く見えるネタケースが埋め込まれ、その底には厚さ30センチもある氷が敷かれている。ケースの中には、鮮度抜群のボタンエビやホタテなど、海の幸がふんだんに並べられ、眺めているだけで生つばがゴクリ。
なかでも内田さん自慢のネタは、塩もしくは甘ダレで味わう穴子。シンプルな塩で食べてみると、穴子そのものの旨(うま)みがじんわりと口中に広がり、味わい深さを堪能できる。今の時期は東京湾でとれたものを使うが、季節によって噴火湾など産地は変わり、旬のものを通年楽しめるそうだ。
もうひとつ見逃せないネタが、毎年、大間と戸井から一本買いする本マグロ。寿司屋の定番とはいえ、赤身はもとより大トロまで、常に一定レベルのマグロを味わえるのがうれしい。
毎朝、市場に通って食材を求める内田さんは「おいしい食材を見つけ、おいしい寿司を握り、お客さんに『おいしい』と言ってもらえるのが最高の喜びです」と、顔をほころばせる。
カウンターは15席あって、予約制となっている。内田さんと並んで、若き寿司職人の船渡寛一さん(36)も握り、親方譲りの腕を発揮してくれるので安心だ。
仲間同士や家族連れは小上がりが居心地よさそうだが、飲んべえにはカウンターをおすすめしたい。というのも、積丹町の漁師に仕込んでもらう絶品の塩ウニをはじめ、子持ちシャコやナマコ酢など、季節に合わせた多彩なツマミが登場するから。
遠くても行きたい「そば屋」があるとしたら、さしずめここは遠くても行きたい「寿司屋」と言えるだろう。(文・和田由美 写真・藤倉孝幸)
【住 所】 札幌市北区北24西19の4の14 (電)011・728・5350
【営業時間】 午前11時30分~午後2時、午後5時~午後10時。月曜休
【主なメニュー】 穴子1貫500円、マグロ赤身1貫500円、塩ウニ500円、小上がり席=握り2500円~、カウンター席=旬のおまかせ握り12貫5000円、おまかせ8000円~、生ビール小(ザ・プレミアムモルツ)500円、日本酒(大関)400円 ※税別
※メニュー、価格などは変更されている場合があります。
◇設置3年、境港に16体
妖怪と並ぶ観光資源・魚介類のオブジェが、境港市の境水道沿いの海岸付近に並ぶ「おさかなロード」が24日、設置を始めて丸3年を迎える。スポンサーを募って増やし、現在は16体に。観光客にも徐々に知られるようになり、企画した地元のNPO法人「元気みなと」は「水木しげるロードに続く名所に」と、50体を目指す。(立山光一郎)
妖怪のブロンズ像が並ぶ水木ロードが年間200万人以上の観光客でにぎわう一方、隣接する旧銀座商店街や、海岸沿いの通りは寂れていた。そのため、港町のにぎわいを取り戻そうと、街おこしに取り組む同NPOのメンバーらが始めた。
水木ロードの東端から、境台場公園までの約1・2キロ。道路沿いの商店や事業所などの前に、実物から型を取った鋳物の魚介類を、石の台座に据えて設置している。
第1号となるトビウオのオブジェが、西の起点近くに置かれたのが2012年3月24日。その後、松葉ガニやキジハタ、スルメイカ、アカエイなど種類は増え、今年1月には16体目となるヤリイカが設置された。同市内の商店や漁業関連業者、同市出身者などが、スポンサーとして協力している。
市観光協会が14年度版観光パンフで紹介するなどし、水木ロード目当ての観光客らも訪れるように。昨年6月の平日に通行者数を調べたところ183人で、観光客も目立つようになった。さらに、地元の小学生らが案内看板作りに取り組むなど、魚をテーマにした街おこしの機運も高まる。
21、22日にはロードで、海の幸を楽しむ「第1回境港おさかなロード大漁祭」(元気みなと商店街主催)が開催。地元海産物の加工品や料理などの人気を競う「Sea級グルメコンテスト」や、オブジェを巡るスタンプラリーなどが行われる。同NPOの吉田明広理事長(46)は「ロードが呼び水となって飲食店が出店し、観光スポットとして定着するよう、オブジェをどんどん増やしたい」と話す。
◇実物から型、リアル追求 制作・森下明時さん
「おさかなロード」のオブジェは、米子市博労町で、スズ鋳物クラフトを手がける森下明時(みつよし)さん(61)が制作。本物の魚介類から鋳型をとり、着色する独自の技法で作る。金属独特の重量感があり、ロードで抜群の存在感を示している。
下水管などを製造する鋳物工場に勤め、技術を習得。釣りが好きで、30歳代の頃から魚の鋳物を作っていた。中断した時期もあったが、50歳頃から活動を再開した。
転職先を退職後の2010年、自宅に工房を開設し、日常雑器なども製作。米子工芸会員で、京都市内のギャラリーで個展を開くなどしていた。作品が「元気みなと」のメンバーの目にとまり、オブジェの制作を依頼されるようになった。
魚らしい質感を出そうと、うろこの1枚1枚も鋳造で表現。塗料には、車にも使われる高級品を採用する。風雨や日光にさらされる厳しい環境にも強い、耐久性が特長だ。森下さんは「ロードに置くことで、多くの人に見てもらえるので作りがいがある」と話す。
◇石島 最後の生徒 卒業運航に幕
瀬戸内海に浮かぶ石島(玉野市)で半世紀以上にわたり、中学生を対岸の学校に送り続けた船「スクールボート」が18日、廃止された。人口91人の島に小学生はおらず、最後の生徒が卒業式を迎えたこの日、役目を終えた。
石島は、同市・胸上港の沖約5キロに位置し、かつては市立胸上小学校と東児中学校の分校があった。生徒数の多い本校への進学を希望する子どものためにと、住民が1957年、漁船を改造したボートでの送迎を始めた。
その後、旧東児町が専用船を建造。64年に東児中分校が廃止されると、約30人が船通学をしていた。しかし、少子化で胸上小分校も2012年に廃校となり、最後の中学生となった土手大輔君(15)の卒業を機に、運航を終えることになった。
この日、胸上港で「さよならセレモニー」があり、親子2代で船長を務めた川西孝明さん(37)に、土手君が「雨の日も風の日も、濃霧の日も送っていただき、ありがとうございました」と感謝の言葉とともに、花束を手渡した。
玉野市内の県立高校に合格すれば、石島と宇野港を結ぶ航路を利用するという土手君。「毎日送ってくれた川西さんは、僕にとって家族のような存在」と振り返り、川西さんは「大事な子どもを預かり、事故だけは起こさないようにと気を使っていた。開始から無事故で終えられて、ほっとしている」と語った。