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国土交通省は13日、マンション等の建物に免震材料として使われる東洋ゴム工業の製品が、大臣認定の性能に適合していないにもかかわらず不正な申請書を提出して建築基準法に基づく評価・認定を受け、全国に設置していたと発表した。
現時点で18都府県55棟で不適合が判明しており、同省ではすぐさま耐震性を確認し、場合によっては交換などの対応をするよう同社へ指示している。
国土交通省によると、問題となったのは東洋ゴム工業の「高減衰ゴム系積層ゴム支承」という免震ゴムで、マンションなど大きな建物の下で支え、地震のときには揺れのエネルギーを吸収するというもの。
現時点で不適合が判明している全国55棟の中には病院(6棟)や工場(2棟)なども含まれている。
なお、この免震ゴムは2003年から2011年にかけて認定を受けており、東日本大震災のときには宮城県仙台市の建物3棟で震度6弱~6強の揺れに見舞われたが、現地調査をした管理会社等から建物に損傷はないとの報告を受けているという。
デロール・ロテルさんは、日本とイスラエル間のビジネス開発を専門とする「I.J.ビジネス道(どう)社」のオーナーです。創設は2012年4月。この分野を扱う企業はイスラエルに複数ある中で、この会社の強みは何といっても技術への理解能力です。
「I」はIsrael、「J」はJapan。そして「道」は、空手黒帯のロテルさんならではの命名です。現在彼は、イスラエルの経済省と輸出協会のビジネスコンサルタントとしても活躍しています。(文:夢野響子)
■両国の関係改善を機に京都と奈良に留学
ロテルさんは、日本でビジネスをしたいと望むイスラエル企業のマーケティングコンサルタントをしています。イスラエルの企業は興業センターに認可されたマーケティングの専門家の指導を受けることができ、資金は経済省が出しています。
また彼は、経済省の「スマートマネー」という支援プログラムの一環として、日本との取引を目指してこのプログラムに参加を希望する企業をチェックする仕事をしています。輸出協会のExperts4Uプログラムでは、国際取引の日本担当として輸出入の計画と準備、契約や合意、習慣や手続きについて広くコンサルティングをしています。
実は今回のインタビューは、すべて日本語で行われました。彼の日本語には京都弁の響きがあります。実に物静かな話し方です。そもそも彼と日本との関わりは、どこから始まったのでしょうか。
「16歳から空手を習い始めたことからです。(イスラエルの工学最高峰の)テク二オン大学に在学していた時には、第二外国語で日本語を選択しました。コンピュータサイエンスの専攻で、そのころ(日本のコンピュータパイオニアである)京都大学の矢島脩三教授を知りました。ちょうど両国関係が改善されて、日本の文部省の奨学金を受けられる学生数も増えたので、私も選ばれました」
この奨学金で日本にわたったデロールさんは、京都大学の研究生として2年間を過ごし、さらに奈良先端科学技術大学院大学の修士課程で2年間、計4年間日本に滞在しました。同行した奥様の日本語に癖がないのは、彼女の通った京都日本語学校のおかげだそうです。彼の方は、京大の日本語講座は発音までは気にしなくてよかったので、京都弁が身に着いたのでしょう。
■「1月の日本政府の援助表明」の影響は大きい
1998年にイスラエルへ帰国した彼は、富士通マイクロエレクトロニクス・イスラエルにLSI設計者として勤め始めます。…
児童生徒の非行や犯罪を巡り、各都道府県警との間で当事者らの名前や事案の概要を共有する協定を結んでいるのは、全国67の都道府県・政令市の教育委員会のうち、53教委だったことが文部科学省の緊急調査で分かった。未締結は関西・中国地方で目立ち、多摩川の河川敷で先月20日、中学1年の上村(うえむら)遼太さん(13)が殺害される事件が起きた川崎市の教委も締結していなかった。協定があれば、警察側が事件につながる非行情報を把握できた可能性もあり、文科省は月内にも各自治体に対し、協定締結などの連携強化を促す方針。
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◇全国67都道府県・政令市
調査は同事件を受け、実施した。警察との連携を巡っては、全国の小中高校の97%が、それぞれの地元警察署と任意組織の「学校警察連絡協議会(学警連)」を設けている。しかし個人情報保護の観点から情報のやり取りが匿名だったり、事案ごとに対応が異なったりする面があり、川崎の事件でも発生約半月前にあった学警連の会合で上村さんの不登校情報は報告されていたが、匿名だったこともあり、警察側による特段の対応は行われなかった。
これに対し、協定は非行や犯罪に関わった児童生徒の実名や事案の概要を共有するのが特徴。横浜市教委が神奈川県警と04年に結んだ協定によれば、逮捕事案のほか、児童生徒が非行グループに入り、対応が必要な事案などを対象として、名前や事案の概要を共有することを規定している。
文科省によると、同様の協定を結んでいる教委は47都道府県教委のうち39。最も早かったのは02年の宮城県で、締結していないのは8県。このうち長野▽滋賀▽奈良▽島根▽山口--の5県は覚書や申し合わせなどの形で協定に準ずる運用をしているという。
一方、20政令市教委で締結していないのは川崎、大阪、堺など6市。川崎市教委は毎日新聞の取材に対し、「研究はしていたが、個人情報保護条例と市が独自に定める『子どもの権利条例』の二つの条例との整合性をクリアしなければならず、慎重にならざるを得なかった」などと説明している。
同省は現在、全市区町村に調査の対象を広げ、協定の有無やその理由を調べている。【三木陽介、斎川瞳】
海上保安庁で、難易度の高い救難などを専門に扱う特殊救難隊(特救隊)の基礎を作った伝説の「海猿」の一人、巡視船「いず」(3500トン)の片岡秀一船長(60)が3月で定年を迎える。今年で発足40年となる特救隊の草創期を支えた片岡さんの歩みは、海保の節目となる事件や事故の歴史でもあった。【米田堅持】
◇油だらけの海
福島県いわき市で生まれ育った片岡さんは、1973年4月に海上保安学校(京都府舞鶴市)に入学、海上保安官としての人生を歩み始めた。卒業後は高松海上保安部の巡視艇「たかなみ」に配属された。造船所で整備中の74年12月、三菱石油水島製油所(岡山県水島市)から大量のC重油が流出し、国内最悪の油流出事故が発生すると、整備作業を切り上げて現場に向かい、約2か月間、事故処理にあたった。
同年11月には東京湾でにLPGタンカー「第10雄洋丸」と貨物船「パシフィックアリス」が衝突、炎上し、33人が死亡した事故も発生していた。このため、翌75年10月、危険物火災やヘリコプターからのつり上げ救助など「特殊」な海難救助を専門に扱う部隊が作られることになり、片岡さんは志願して第2陣として配属された。今の特救隊は新人を含め36人体制だが、発足間もないころは第3管区海上保安本部(3管、横浜市中区)の警備救難部の救難課に「間借り」する10人に満たない小さな存在だった。
「訓練も含めて何が『特殊』なのか暗中模索の時期だった」と片岡さんは当時を振り返る。「特殊」であるなしにかかわらず出動することで、特救隊は基礎を作り上げていった。苦労をともにした仲間の結束は強く兄弟のようだという。
◇ぎりぎりの深さから
26歳の時、特救隊から福島県の小名浜海上保安部(現福島海上保安部)の巡視船「なとり」へと配属替えとなった。だが、特救隊に戻りたいという気持ちが抑えられなかった。幹部候補生となる特修科へ進んだ後、潜水士が乗船する呉海上保安部(広島県)の巡視船「ひだか」を経て、85年4月に特救隊に戻り、2年後に隊長となった。
「潜水艦と釣り船が衝突した」
88年7月23日、新人の潜水研修を行っていた片岡さんに、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と遊漁船「第1富士丸」の事故の一報が入った。
片岡さんらは直ちに現場へ向かった。重さ20キログラムのおもりをつけたロープを海底に落としながら「第1富士丸」を探し、現場を特定した。3人のチームを四つ作って潜水捜索に入るが、特救隊が潜れるぎりぎりの深さでの活動は困難を極めた。
「現場の海面は濁っていたが、水深15~20メートルより下は透明度が高かった。45メートルぐらい潜って空気が粘っこくなったとき、甲板上に人様のものが見えた。」
片岡さんは慎重に男性の遺体を引き揚げた。
27日、片岡さんは応援に駆けつけた巡視船の潜水士らと大型クレーンで船体を海面付近まで引き上げられた「第1富士丸」の船内を捜索した。
「犠牲者の姿を見ているうちに汗か涙がわからなくなった」
「特殊」な現場を数多く経験した片岡さんにとっても、30人の犠牲者を出したこの事故はショックな出来事だったという。
1週間ほど救助活動を行った後、片岡さんは意識を失って救急搬送され、4日ほど入院した。潜水病であれば短期間で症状が表れることから「過労だったと思う」と片岡さんは語る。
◇現場を知り尽くした男
94年から約2年、新潟海上保安部の巡視船「やひこ」で潜水士として乗り組んだのを最後に、片岡さんは「海猿」としての役割を終えた。3管の救難課専門官として勤務していた97年7月には東京湾の中ノ瀬で大型タンカー「ダイヤモンドグレース」の原油流出事故が起きるなど、陸上勤務でも大事故や大事件の担当が続いた。
救難課長として片岡さんと海難事故の対応にあたったこともある中村公亮3管次長は「曳航(えいこう)時のロープのかけ方をはじめ、現場を知り尽くしていた片岡さんと一緒に仕事ができたことは大きな財産になった」と語るように、多くの幹部が厚い信頼を寄せた。
◇ミスター特救隊
片岡さんの海上保安官人生は、海保の激動の歴史と重なる。
2002年2月、首席航海士として乗船した巡視船「いず」では、前年に沈没した北朝鮮の工作船の捜索にあたり、02年4月からは第10管区海上保安本部(鹿児島市)の救難課長として、引き揚げの陣頭指揮を執った。
04年4月からは本庁救難課の専門官として新たな救難資機材の開発にも携わる。従来よりねじれにくいスタティックロープと専用の金具の開発には、厳しく注文をつけた。このロープを使った初のつり上げ救助が同年10月、富山港で座礁した海洋実習帆船「海王丸」の事故だった。
「従来の手法だと降下ロープが障害物にからむ状況だったが、降下袋を装着した新しい手法ならば救助できそうだった。開発段階で訓練に参加していたパイロットの森さんが、やってみようと言ってくれて実際に使用して救助することができた」と片岡さんは後輩の潜水士たちに当時のことを話した。
当時、特救隊員として海王丸へ降下した寺門嘉之さんは、片岡さんについて「後輩を支えて良き伝統を残してくれた。片岡さんこそ我々が描く『ミスター特救隊』だった」と言う。特救隊には訓練でできないことはやらないという伝統がある。まもなく40年を迎える特救隊の歴史に殉職者はいない。
◇最後まで激流の中で
海上保安官は海の警察官という顔も持つ。片岡さんは、09年から2年半、石垣海上保安部(沖縄県)の巡視船「はてるま」の船長を務めた。10年9月に尖閣諸島沖で起きた中国漁船と巡視船の衝突事件では、漁船を追尾し停船させている。
「衝突後、漁船を無事に確保できたのは良かったのですが、その先はちょっと……」
片岡さんはいったん話を止めた。携帯電話も通じない海域を守る「防人(さきもり)」の姿を知ってもらいたいという思いと、警備の詳細は話せない現実との間で答えが見つからなかったようだ。この事件は日中の外交問題となり、後に海上保安官によるビデオ映像流出事件にも発展した。
その後、横浜海上保安部の「しきね」の船長を経て、13年4月から「いず」の船長となった。14年末には、中国のサンゴ漁船が押し寄せた小笠原諸島へも派遣されるなど、片岡さんは最後まで激流の真ん中に身を置く形となった。
「この船は、災害対応型として潜水士が乗船する『救難強化指定船』。最後まで現場にいることができて幸せだった」と笑う。一方で「潜水士は特救隊へのステップアップだけではない。今の特救隊はレベルアップしているが、潜水士として何をしたいのか考えながら最善の努力をしてほしい」と後輩の潜水士たちに辛口のエールを送った。
3月になって就職活動が本格化する中、就活生の日常ネタをテーマにしたiPhone向けゲームアプリ、「就活あるある~たすけて無い内定~」が一部で話題を呼んでいる。
Appストアの紹介ページによると開発したのは、KOUHEI NAKAMURAさん。2月26日にリリースされた。ゲームは至ってシンプルで、画面上に現れる就活ネタのイラストをタッチして次々と収集していくというものだ。
■説明会では大抵が「リーディングカンパニー」
このネタが結構よくできている。まず、説明会関係のネタではまず、「本日は貴重なお話ありがとうございました!」という就活生。自分をPRするために「『××大学』の××ですって聞かれてもないのに言う」というのもポイントだ。
「『服装自由』で疑心暗鬼」というのも最近の就活シーンでお馴染みだ。「服装自由はスーツに脳内変換」するといい、結局みんないつものリクルートスーツになるのはよくあること。他のネタもたしかに説明会でよくある光景となっている。
「企業VTRに感動して涙。生命保険会社とかほんと泣ける。大抵事故か病気になった父親の話」
「大体リーディングカンパニー。そんなにたくさんあってたまるか」
「社員の入社動機『人が良かった』。それしかいうことないのか」
面接関係のネタでは、「あなたを××に喩えるとなんですか? 調味料や動物が多い。そんなん知るか!」というものも。面接では比較的よく投げかけられる質問だが、ただの大喜利にしか感じられないときもある。しかも、そんな面接を繰り返しても、落ちることがほとんどだ。
「和やかな面接。受かったと思う面接や褒められる面接ほど落ちている就活7不思議の一つ」
「『次の面接で会えたらいいですね』。集団面接の帰り道とかでよく聞かれる呪いの言葉。実際会えない」
「結局、顔。イケメンと美女には内定が集まる」
■普通の学生が「意識高い系就活生」に大進化!
中には、「落ちた企業の不買運動」というネタも。化粧品やお菓子など、自分を落とした企業の商品を意地でも買ったり使ったりしない、というものだ。しかし、「家族は関係なく買う」ので結局徹底することができない。
しばらくすると、内定を得た学生もちらほら出てくる。そうすると出てくるのが、「内定の壁」だ。「内定の有無により生じる友人間との何とも言えぬ感」で、これが人間関係をギクシャクさせる。最近は、友人のSNSにイライラさせられることもあるようだ。…