社会そのほか速
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戦国時代、鉄砲集団「雑賀衆」を率いて、織田信長と死闘を演じたとされる雑賀孫市にちなんだ「第11回孫市まつり」(孫市の会主催)が29日、和歌山市中心部で開かれた。俳優の榎木孝明さんが監修した野外劇が上演され、多くの市民らが見入った。
甲冑(かっちゅう)を身にまとった孫市の会のメンバーや県内外の歴史愛好家ら約100人が、雄たけびを上げて和歌山城を出発。雨の中、本願寺鷺森別院までの約2・5キロを1時間ほどかけて練り歩いた。
同別院に到着すると、行列の参加者らが雑賀衆と信長軍に分かれて野外劇を披露した。刀や槍(やり)を交えたり、大きな音を響かせて火縄銃で空砲を放ったりするたび、集まった市民らが大きな拍手を送っていた。
野外劇を見守った榎木さんは「どの時代劇にも負けない、迫力ある殺陣だった」と絶賛。雑賀衆の武将を演じた和歌山市紀三井寺、会社員東規行さん(48)は「榎木さんの指導で、力強い演技ができた」と満足そうだった。
京都市と大津市をつなぐ琵琶湖疏水(そすい)第1疏水で28日、観光船の試験運航を両市などが始めた。最大21倍の当選倍率でモニターとなった乗船客たちが、ほころび始めた桜の下で船旅を楽しんだ。
観光船の事業化に向け、課題を抽出するため実施。大津乗船場―山科乗下船場―蹴上下船場の全長7・8キロを3コースに分け、5月6日までの土日曜、祝日に運航する。料金1000~2000円のモニター(定員1152人)に1万9033人が申し込んだ。
この日午前9時15分頃、一番船が大津市を出発。約1時間かけて蹴上に到着した乗船客は、料金設定や乗り心地、改善点を問うアンケートに意見を記入した。
南丹市のパート従業員、藤原真理子さん(64)は「水の流れで進み、ゆったりした船旅を楽しめた。桜が満開になればすばらしい景色になりそうで、料金も納得。専門のガイドさんがいればもっと良くなると思う」と満足そうだった。
◇最終区へ引き継ぎ
4月2日から行われる高野山開創1200年記念大法会に向け、高野山真言宗(総本山金剛峯寺、高野町)の僧侶らが1年かけてリレー方式で全国を巡る「高野山結縁行脚」の一行が28日、奈良県五條市新町の西方寺に到着し、最終区間を担当する結縁行脚隊に本尊が引き継がれた。
高野山を開いた弘法大師・空海との縁を全国の人に結んでもらおうと企画された。昨年4月に北海道を出発し、各地の宗務支所などを中継しながら巡回。行脚の本尊として、高野山の奥之院で1000年近くともされる「不滅の聖燈(しょうとう)」からとった火などが引き継がれている。
この日、内吉野宗務支所の僧侶らが西方寺に到着。本尊の引き継ぎ式では、僧侶や信者ら約50人が読経した後、同支所長の赤松祐光・同寺住職(50)が大法会や行脚の成功を祈って願文を読み上げた。
また、行脚隊の上杉雄猛隊長(47)が「本尊を大師のもとにしっかり届けたい」と決意を述べた後、隊員10人がのぼりを手に住宅街などを歩き、沿道で見守る住民らに大法会をアピールした。29日からは、同県吉野町の金峯山寺から、空海が通ったとされる古道などを歩き、4月1日に高野山に着く予定。
◇7、8回好機 あと1本
近江が28日の県岐阜商(岐阜)との2回戦で敗れ、ベスト8進出はならなかった。大会屈指の右腕、高橋純平投手を相手に序盤から打線が沈黙、七、八回の好機であと1本が出なかったものの、3年ぶりの選抜大会出場で見せた粘り強い戦いぶりにアルプス席から大きな拍手が送られた。
先発のエース小川良憲投手は、一回に先制されるなど序盤に3点を失う苦しい立ち上がりだった。その後は点を与えず、七回以降は有本勇士郎、京山将弥両投手が継投し、無失点に抑えた。
打線は七回一死から、杉野翔梧、山本大地両選手が連続左前打を放ち一、三塁の好機を作ったが、後続が断たれた。県岐阜商の高橋投手を最後まで攻略できず、4者連続を含む10三振、3安打に終わった。
多賀章仁監督は「甲子園で2試合戦えたことは収穫。夏に向けて課題を克服したい」と話した。
◇エース救った好守
相手の一方的な試合になりそうな展開を食い止めたのは、岡勝輝選手のファインプレーだった。
3点リードされた五回の守り。一回に先制の適時三塁打を放っていた先頭打者がバットを構える。打球が三遊間に飛んだ。
その一瞬に、遊撃手の岡選手は「体が自然と反応した」。猛然とダッシュし、横っ飛びで腕を突き出すと、グラブに球が収まる。すぐに体勢を立て直し、一塁へ送球した。
「アウト」。声高らかに響く審判の判定。応援スタンドでは、安打になると思っていた観客から「よく捕った」と大きな歓声が上がった。
偶然の結果ではない。
近江は、昨夏の甲子園大会に県代表として出場したが、岡選手はベンチ入りできなかった。憧れのグラウンドで躍動する仲間の姿に、悔しさは募った。足腰をしっかり鍛えて動きのキレを良くしようと、自主練習として30メートルダッシュを日々10本こなした。
この試合、岡選手の堅守で投手陣は息を吹き返す。五回以降は無失点に抑えた。先発の小川良憲投手は「一回にリズムを崩されたが、あのプレーで変わった」と振り返る。
「夏に向けてまた練習だ」と近江の選手たち。堅い守備で隙を作らず、相手の攻撃が緩んだところを一気にたたく――。夏につながる近江野球を象徴するプレーだった。(猪股和也)
◇社団法人 8月開設へ
◇ボランティア派遣の司令塔
2005年度末で閉校した旧県立矢掛商業高校の跡地(矢掛町矢掛)が8月、防災関連施設に生まれ変わる。一般社団法人が所有者の町から無償で借り受けて整備。災害時にボランティアの活動拠点とするほか、防災研修も行うという。(冨浪俊一)
跡地は敷地面積約1万7600平方メートルで、町が公共目的で利用するとの条件で県から取得。鉄筋3階建ての校舎2棟(計約5300平方メートル)と鉄筋2階建ての体育館(約2600平方メートル)などが残り、いずれも耐震補強工事を終えている。
理学療法士を養成する専門学校の誘致を断念した08年以降、利用計画がまとまらずにいた。そんな中、過去に大きな災害がなく、南海トラフ巨大地震で津波被害を受けない点に着目した一般社団法人「バート・インターナショナル」からの申し出を受け、「バート未来防災研究所」の名称で整備することが決まった。
同法人は、東日本大震災を機に、オートバイで被災地入りして支援する緊急災害対策チームと連携。災害発生時には、登録したボランティアを派遣する“司令基地”の役割を担い、緊急宿泊地として数百人規模で被災者を受け入れる。
国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(本部・岡山市)と連携し、医師団の拠点とすることも検討。平時は、専門家による防災研修や緊急時の安否確認・避難所管理・緊急救援情報などのシステム整備などに取り組む。
さらに、地域活性化にも協力。一部を民間企業のサテライトオフィスとして開放し、地元企業と共同で防災関連商品に開発・製造にも着手する。県立矢掛高校と連携し、インターネットによる学習支援にも取り組むとしている。
山野通彦町長は「町が活性化するように、防災だけでなくまちづくりや産業振興など幅広い取り組みに期待したい」と語る。1977年にバイクの350ccクラスで日本人初の世界チャンピオンになり、緊急災害対策チームを設立した同法人の片山敬済代表理事は「この施設は今後全国的に整備を考えている新たな防災拠点の司令塔になるだろう。まちづくりにも寄与したい」と話す。